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隣の上梨さん

「空心ー!起きなさーい!」

 そんな母さんの声で、僕は目覚めた。ふと時計を見た瞬間、その針の角度に絶望した。だがしかし諦めたらそこで試合終了だ。僕は全速力でベッドから起き上がった。新しい制服に身を包んだ。リュックの中身をチェックして背負った。

 ドタドタと音をたてて階段を降りると、両親が食卓を囲んでいた。父は朝ごはんをちょうど食べ終えたところだった。母はコーヒーをすすりながら言った。

「あ、やっと起きたのね」

「ごめん母さん!トーストだけ食べる!」

 僕はそう言いながら、一瞬だけ洗面所の鏡で身だしなみをチェックした。そして、食卓のトーストをかっさらって玄関へ急いだ。

「行ってきまーす!」

 春のぽかぽか陽気に温められた風が、トーストを咥えた僕を包み込んだ。

 

  *

 

 僕が駅に着いた瞬間、電車がやって来た。本当にギリギリだった。駅のホームには、茶色いツンツンヘアーのチャラそうな男子高校生がいた。親友の堀森だ。一緒に登校するなんていう約束は何もしてなかったが、どうやら僕を待っていてくれたようだ。

 僕に気づいた堀森は、こちらに手を振った。

「遅いぞ空心。寝坊でもしたか?」

「ま、まあね……」

 僕らは電車に乗り込んだ。

 車内は、僕たちと同じような高校生、寝癖のついたままの大学生、スーツを着た社会人、おしゃれなマダム、いろんな人で埋め尽くされていた。座席は空いているはずもなく、もたれかかれるような壁の近くも全部埋まっていた。

 僕は背中のリュックを前に持ってきた。堀森は足元に置いていたが、せっかく新しく買ったリュックを開始早々床に置くのは気が引けた。

 扉が閉まり、電車は動き出した。

「電車通学は1分の遅れが命取りなんだから気をつけろよ?」

「はいはい」

 僕は、堀森の言葉軽く流した。

 堀森はこんな見た目だが、たまに真面目になる。特に時間に関しては僕よりしっかりかもしれない。必ずしも僕が真面目というわけではないが。

 それにしても、人と人との距離が総じて近い。現に、先ほどから背中は見知らぬおばさんと接触しそうだったし、腕にいたっては堀森に当たりまくっていた。

 今まで電車通学を舐めていた。毎日こんな満員電車に乗るのかと思うと気が滅入る。

 ちょっとでも気を紛らわそうと、堀森に話しかける。

「それにしても、僕ら2人とも受かってよかったね」

「たしかにな。片方だけ落ちてたら目も当てられねえし」

「まあ、どのみち堀森は受かってたから大丈夫だろうけど」

「それなら空心も受かるの確定だろ。お前、俺より勉強してたし」

「そりゃあ、ノー勉で全教科100点取るようなやつと張り合うには勉強しないとじゃん。僕は天才じゃないから」

「別に俺も天才じゃねーよ。運が良かっただけ」

「そう言いつつ新入生代表に選ばれてるのはなんでかな〜?」

「と、とにかくなあ、虹ヶ崎に入学する時点でまあまあすごいって思っとけばいいんだよ」

「それもそっか」

 僕らが入学する県立虹ヶ崎高等学校は、実際のところ結構上位帯の高校だ。募集定員が他校より少ないくせに志望者は多いので倍率が高い上に、合格ラインもやたらと高いので、堀森が言ってることは間違いではない。

 最初はこんな狭き門を選ぶつもりはなかった。しかし、いろいろあって結局は堀森と張り合いたいがために受験して合格した。

 一旦会話が終わってしまったので、僕は手持ち無沙汰になり、右の一房だけ白く染めた横髪に触った。堀森に、高校生になるから一緒に染めようぜ、と半ば強制的に染められたのだ。イケメンで陽キャな堀森と違って、僕は大して顔が良いわけでもないので、こういうのには少し抵抗があった。

「これ、先生に言われないかな」

「大丈夫大丈夫」

 僕は心配したが、堀森はかなり楽観的だった。

 

 虹ヶ崎駅で電車を降りて、そこから10分ほど歩いたところにあるのが虹ヶ崎高校だ。

 学校に着いた僕たちは、昇降口のすぐそばにある掲示板を眺めた。

 僕はB組、堀森はD組。あいにく、僕らのクラスは別々だった。

「なんで俺ら別々になるんだよぉ」

 堀森は嘆いた。

「仕方ないよ。僕ら同中なんだし」

 僕はそういって自分の教室に行こうとしたが、堀森は僕にしがみついて離さない。駄々をこねる幼児のようだ。

「お前そういうとこだぞ」

 堀森を引きずるたびに、リノリウムの床がキュッキュッと鳴った。初日からこんなバカなことをしてるのは、多分お前だけだ。


   *

 

 僕の席は窓側の最前列だった。苗字的に新学期は大体こうなるのだが、やはり最前列はあまり落ち着けなかった。高確率で後ろの窓側の席になるラノベ主人公が羨ましい。

 実際、ああやって嘆いていた堀森より、僕の方が危うい立場ではある。なんせ、堀森はコミュ力の塊だ。単独で他校に乗り込んだかと思うと、友達50人作って帰ってくるようなやつだ。新しいクラスでもすぐに馴染むだろう。

 まあ、そんなにコミュ力が高くない僕でも、隣の人を味方につけたらぼっち回避はできるだろう。しかし、肝心の隣の席にはまだ誰も来ていなかった。

 できれば優しくておとなしめな子がいいなーとか思っていたが、超イケイケのパリピでもやってきたら僕はお手上げだ。

 そんなことを考えていると、胸が騒がしくなってきた。それを紛らすように、僕は窓の外を眺めながら横髪を触った。

 しばらくそうしていると、1人の女子生徒が教室に入ってきた。

 その女子生徒は、ピンクがかった明るくてきれいな髪の毛をハーフツインテにして、変な形の髪飾りをつけていた。それだけならまだ特筆するほどではないが、まず、彼女はとんでもない美少女だった。ぱっちりと開いた瞳ときれいな鼻筋、あどけなさも残ったその完璧で究極な比率の顔は、そこらへんのモデルやアイドルと比べ物にはならなかった。そして美しすぎるがゆえに、簡単には触れがたい芸術品のようなオーラを放っていた。

 男女関わらずクラスのみんなが、その人間離れした美貌に目を奪われていた。元から人間の顔をそこまで気にしない僕でさえも、彼女には思わず見入ってしまった。

 そして驚くことに、彼女は僕の隣に座ったのだった。

 おいおいまじかよと。

 隣の席がこんな美少女なのは、運が良いのか悪いのか。まあともかく、良好な人間関係を築いていくためにも大事なのは第一印象だ。

 僕は笑顔で彼女に話しかけた。

「初めまして、僕は阿瀬空心っていうんだ。これから隣の席だね。よろしく!」

「よろしく」

 彼女は表情1つ変えず、僕の方を見ることもなかった。

 やはり、彼女のような美少女に僕のような地味な男が話しかけても、相手にされないのは当然の結果なのかもしれない。

 しかし阿瀬空心はここで簡単に引き下がるような弱い男なんかじゃない。せめて名前だけでも聞いておきたい。

「君の名前はなんていうの?」

「私の名前は上梨愛夢。愛ちゃんって呼んでいいよ」

 彼女は冷たい口調で、淡々と告げた。

 おそらく彼女は感情が表に出にくい性格なのだ。僕を拒否しているとかそういうわけではない、はず。

「え、えっと、上梨さん」

「愛ちゃんって呼ばないの?」

 上梨さんは僕の方に首を向けた。相変わらず眉ひとつ動かさない。

「いきなりあだ名で呼ぶのはちょっと距離が近すぎるっていうか……」

「私も阿瀬君も動いてないから距離は変わらない」

「心の方の距離だよ」

「じゃあ、阿瀬君は私の心に近づきたくないと。さよなら」

上梨さんはそう言うと、ぷいっとそっぽを向いてしまった。

「違う違う!近づきたくないなんて思ってないってば!」

「そうなの」

「なんていうか、女の子をちゃん付けするのにちょっと抵抗があるだけだよ。上梨さんとは普通に仲良くなりたい」

 女の子に対して、仲良くなりたいとかちょっとどうなのかと思ったが、ここら辺をうやむやにするのはよくないから仕方ない。仕方ない。

「わかった。じゃあ、私と契約して友達になってよ」

 上梨さんはそう言った。もちろん真顔で。

「……?」

 友達って契約してなるものだっけ。まあ、仲良くなってくれるならなんでもいいや。

 そう思って返事をしようとしたとき、縦にも横にも大きい男がノシノシと教室に入ってきた。それに気づいたらクラスメイトたちは喋るのをやめた。

 男は教壇の上に立つと、野太い声を静寂の中に放った。

「うちのクラスは全員揃ってるっぽいな。ようこそ虹ヶ崎へ。俺はこのクラスの担任の須東だ。諸君、まずは入学おめでとう」

 それから入学式やクラス内での自己紹介や係決めが行われ、あっという間に時間は過ぎていった。その間、上梨さんにさっきの契約の返事をすることはできなかった。


   *

 

 帰りのホームルームが終わり、僕が席を立とうとしたときには、上梨さんは3人の女子に囲まれていた。ギャルっぽい子と、ぶりっ子っぽい子と、お嬢様っぽい子。3人とも結構キラキラした感じの容貌で、最強美少女に物怖じする様子は一切なかった。もしかしたら、彼女らと上梨さんで、いわゆる陽キャ女子グループを作ろうっていうことなのかもしれない。

 盗み聞きは良くないと思っているが、彼女たちがどんなことを喋っているのか気になってしまった。

「つか、愛夢ってどこ中?」

「秘密」

「そう言わずに教えてちょうだい」

「私、秘密主義だから」

「愛夢ちゃんって結構口が硬いんだねぇ〜!恋の相談が安心してできるよぉ」

「別に硬くないけど」

「あはは!別に物理的に硬いって言ってるわけじゃないよぉ」

 あまりこうやって聞き耳を立てていると、不自然に思われるかもしれない。そう思ったので、僕はさっさとリュックを背負い、席を離れた。

 女子3人に囲まれる上梨さんの前を通り過ぎたとき、声をかけられた。

「阿瀬君、待って」

 振り返えると、上梨さんがリュックを背負いながらこちらに来た。

「私も帰る」

「あの子たちはいいの?一緒に話してたけど」

「明日も出会うでしょ。いいの」

「そう……」

 上梨さんはそう言ってるが、あの3人からしたら、さよならも言わずに突然逃げられたようなものだろう。本当に大丈夫なのだろうか。後ろから3人の目線を感じるが、僕には後ろを振り向く勇気はない。

 そして、そんな心配はお構いなしに、上梨さんは何も言わずに僕についてきた。

 

 僕と上梨さんは、タイル張りの広い歩道を横に並んで歩いた。植え込みを挟んだすぐ横の車道では、車がブンブン行き交っている。

 虹ヶ崎って都会だなって思う。東京や大阪に比べたら小さい町だ。しかし、駅を中心にビルが建ち並び、人はたくさん住んでいるし、商業施設もたくさんある。少なくとも僕の住んでる森安に比べたら都会だ。

 しばらく歩いたが、上梨さんは無言だった。おまけに表情も変わらないので、何を考えているのか一切分からない。

 僕は耐えかねて、彼女に話しかけた。

「そういや、上梨さんも電車なの?」

「いや、歩き。家が駅前だから、阿瀬君と一緒に行けば家に帰れる」

「いいなー、家が近いの」

「阿瀬君の家はどこ」

「虹ヶ崎駅から3駅先にある森安駅の近くだよ」

「私に比べたら遠いね」

「そうだね」

 ふと、僕の右隣を歩く上梨さんに目を向ける。こうやって歩いていても、僕らの目の高さはほとんど変わらない。上梨さんが大きいのか僕が小さいのかと問われると、おそらく後者だろう。

「阿瀬君」

 上梨さんは急に立ち止まった。

「どうしたの?」

「私と友達になる契約。まだ成立してない」

 あのときは須東先生が来て、会話が中途半端に終わってしまった。しかし、友達になるのにわざわざ宣言みたいなものなんていらない。だから僕は言った。

「もう成立してるよ?僕らはもうとっくに友達だ」

「それって阿瀬君の感想だよね」

「それ地味にきついやつ!」

「大丈夫、今この瞬間成立した」

「よかった……」

 僕はホッと胸を撫で下ろした。

「それじゃあ友達になった阿瀬君に1つ」

「何?」

 上梨さんは息を吸った。

「私、今まで友達作ったことない」

「……」

 こういうとき、なんて声をかけたらいいのか分からなかった。僕は、彼女の発言が冗談であることを願うしかなかった。

 上梨さんは変わらずに続けた。

「阿瀬君となら目的を達成できそうだから、その第一歩として取り敢えず友達になってみたけど、友達って何するの?」

 この子、本気で友達がいないどころか、友達がなんなんのかすら知らないらしい。

 そんな彼女に僕ができること……

「……取り敢えずLINE交換しよっか」

「うん」

 上梨さんから差し出されたQRコードを読み取ると、アイコンも背景も未設定のプロフィールが出てきた。僕は上梨さんを友達に追加して、ふと出てきた疑問をぶつけた。

「そういや、さっき言った目的って何なの?」

「できるだけ多くの青春を経験する。それが私の達成すべき目的」

「青春か。けどなんでわざわざ僕と?」

「私と仲良くしたいって言ってくれたから」

「そっか……」

「何か不満でも?」

「いや、不満なんて一切ないよ。ただ、僕にはあんまり変な期待しないでね」

「変な期待って何」

「何ってそりゃあ」

「?」

 上梨さんは不思議そうに首をかしげた。僕は、これ以上言っても無駄だと思って諦めた。

「……なんでもない」

 上梨さんはちょっと変な子だと思う。表情は読めないし、普通の人とは思考回路が違うような気がするし。

 しかし僕は、そんな謎のベールに包まれた上梨さんのことに興味を持った。もっと仲良くなって、もっと彼女のことを知りたい。そう思った。

 ことわっておくが、彼女に惚れたわけではない。すべては愚直な好奇心だ。

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