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第2話、糖蘭さんの顔面を殴った

 私が風呂からあがると、リビングでは先に風呂から上がった糖蘭さんが、誰かと電話しているようだった。

「ええ、そうです。それなりにポテンシャルはあると思いますけど……はい……わかりました……」

 糖蘭さんは電話を切ると、ガラケーを閉じた。

 私は彼女の背中に話しかける。

「誰と話してたんです?」

「うちのリーダー。君のこと話したら、会ってみたいだってさ」

「HALFのですか?」

「そうだよ」

 HALFのリーダー。異能者集団のトップということは、それなりに強い糖蘭さんよりさらに強いということだろう。どんな人か少し気になった。

「明日の朝、メンバー全員で事務所に集まるから、夜子にもきて欲しいって」

「事務所……ですか?」

「そうそう。彩桃にあるHALFの本拠地なんだけど」

「わかりました。……あとそれとなんですけど……」

「どうしたの?」

「服、着てくれませんか?」

 糖蘭さんは今日も全裸だった。

 彼女は何が悪いのか分からないという顔で言う。

「別にいいじゃん。僕んちだよ、ここ」

「私がいることを忘れないでもらっていいですか」

「もちろん君のことを忘れたことはないよ」

「恥ずかしくないんですか」

「別に」

「はあ……」

 根本的にこの人とは価値観が合わないようだ。私は呆れながらキッチンに立った。そして、昼間に買ってきた食材を冷蔵庫から取り出し、晩ご飯を作り始めた。

 糖蘭さんの家に来て3日が経ったが、その間、彼女は朝から晩までをカップ麺で済まそうとしてきた。さすがにこれは健康的にまずいと思った私は、居候の身分で何もしないわけにはいかないというのともあり、料理担当をすることにした。

「何作ってくれるの?」

 薄いパーカーを羽織ってきた糖蘭さんは、キッチンのカウンターから期待でいっぱいの顔を覗かせた。

「オムライスでも作ろうかと。あんまり手の込んだものは作れないんですけどね」

 私は野菜を刻みながら答える。

「料理できるだけですごいよ。羨ましいや」

「糖蘭さんはできないんですか」

「僕は昔から手が不器用でねぇ。カップラーメン作るので精一杯だよ」

「料理なんて慣れですよ。経験値を積めばそれっぽくなります」

「本当?」

 糖蘭さんは疑わしそうに聞いてくる。

「私にできるなら、あなたにだってできますよ。それに、料理は作れた方がいいですよ。少なくともカップラーメン生活よりはマシです」

「たしかに一理ある。けど、夜子が作ってくれるのなら別に僕がやらなくてもって思うんだよね」

「私がいなくなったらどうするんですか」

「その時はその時。今考えてても仕方ないよ」

 彼女は結構楽観的だった。私は、それを羨ましいと思った。

 

 *


 私は糖蘭さんを問いただす。

「昨夜は朝から行こうって言ってましたよね?」

 彼女はそれに答える。

「それはそう」

「今って完全に昼ですよね」

「それもそう」

 糖蘭さんのアパートの最寄駅からモノレールに揺られて数分。私たちはHALFの事務所がある彩桃区にやって来た。

 彩桃区は、私たちの住む神宮区に比べると近代的な高層ビルは多くない。どこか懐かしいようなアジアンチックな街並みだった。

 快晴の空の上には、高く昇った太陽が輝いている。

 私は糖蘭さんの隣を歩きながら、彼女を小突く。

「完全に遅刻ですよね」

「大丈夫大丈夫。うち、結構ゆるいから」

 超絶遅刻をかましているにも関わらず、何を根拠にしているのか、彼女は気楽そうだった。私はそんな彼女の様子に呆れた。

 


 数分歩いていると、港に辿り着いた。コバルトブルーの海が遠くまで広がるのが見え、爽やかな潮の香りに包まれる。ここの近くには私たち以外に誰もいないようで、静かだった。神宮のような都会の喧騒の中で暮らしていると、こういう静けさが癒しになった。

 糖蘭さんは、灰色のコンクリートの地面を進んでいく。

「糖蘭さん、どこまで行くんですか?」

「そこの建物」

 糖蘭さんが指差し方を向くと、2階建ての白くて四角い建物があった。

「これがHALFの事務所だよ」

 入り口には看板らしき物も何もないので、パッと見では一体何の建物なのかは分からなかった。

 彼女は入口のガラスの扉を開けて中に入る。私もそれについて入った。

 ダンボールが散乱したリノリウムの廊下を進み、階段を登る。その先にある白いドアの前で、糖蘭さんは立ち止まった。

 すると、ドアが開いた。

「いらっしゃーい」

 そこから出てきたのは、セーラー服を着た小柄な女の子だった。

 少年のような顔立ちをしているが、赤みがかった白髪は胸ほどの長さがある。そして、身体の所々がピンク色の結晶になっていた。1番特徴的だったのは、頭から生えた2本の結晶のツノだ。左角の先端が欠けている。

「ようこそHALFへ。君が夜ちゃんだね」

 女の子は笑顔で私たちを出迎えた。

 私は答えた。

「はい、夜子です」

「君の話は糖くんから聞いてるよ。入って」

 私は部屋に入った。

 私たちの遅刻に関しては、糖蘭さんが言うように、そこまで咎められるようではないらしい。内心ほっとした。

 部屋の中には、長い机といくつものパイプ椅子、それからホワイトボードが置いてあり、会議室のような雰囲気が漂っていた。しかし、机の上にはお菓子やゲーム機が置いてあったり、ホワイトボードには落書きが描いてある。おまけに部屋の白い壁には、ドーナツ屋やアイドルのライブのポスターが貼ってあり、かなり自由なようだった。部屋の奥には窓があり、そこから昼間の明るさが差し込んでいる。

 糖蘭さんは手前のパイプ椅子に座った。

「まあ座りな」

「はい」

 私は恐る恐る、糖蘭さんの横に座った。

 女の子は机を挟んだ私の正面に立ち、口を開いた。

「俺は柚先。HALFのリーダー的な人だよ」

「えっ、あなたが?……ってすいません」

 私はつい驚いてしまった。まさか彼女がリーダーだとは思っていなかった。

 彼女は笑いながら言う。

「ふふ、意外でしょ。せっかくだし社長って呼んでね」

「はい社長!」

「うむ優秀だ」

「うちっていつから会社になったんですっけ」

 糖蘭さんがツッコむ。

「まあなんでもいいじゃん」

「そういえば、愛神はまだ来てない感じですか」

 糖蘭さんが言った。

「いや、そうでもないんだけど、君らがなかなか来ないものだから、そこらへん走りに行っちゃった」

 私は全力で頭を下げた。

「すいません!いろいろあって……」

「別に夜ちゃんが謝ることはないよ。どちらかというと糖くんの寝坊のせいでしょ」

「左様でございます」

 失態を見抜かれた糖蘭さんは、潔くそれを認めた。

「それに、あの子ならもう戻ってくるはずだよ」

 柚先社長がそう言った瞬間、勢いよくドアが開いた。

「ただいまー!」

 現れたのは、青い和装に青いベレー帽を被った少女だった。膝まである夕焼けみたいな赤髪のポニーテールを揺らし、部屋に入ってきた。

 少女の宇宙色の大きい瞳は、私を捉えた。

「……あんた誰?」

 彼女は怪訝そうに言った。

「私、夜子っていいます」

 私は椅子から立って、おじぎをした。

 彼女の瞳の中の大きな星が輝いた。

「あっ、こないだ糖蘭が拾ったって言ってた子か!たしか夜子ちゃんだっけ?かわいそうに!糖蘭に嫌なことされてない?何かあったら私に言いなよ?あ、私は愛神っていうんだけど。っていうか、その顔とか腕の傷どうしたの!?」

 私は抱きつかれて全力で撫で回された。間髪入れずに投げかけられる言葉に頭が回らない。

「あわわ……あの、大丈夫です!インサニティと戦った時にできた傷ですし……」

「インサニティと!?」

 愛神さんは驚いたように体を離した。そして、糖蘭さんの方を睨んだ。

「糖蘭、こんないたいけな女の子に何させてんの?」

「インサニティ退治」

 糖蘭さんの平坦な返答に、愛神さんのボルテージは上がった。

「それは知ってんの!関係ない子を危ないことに巻き込んで、どういう神経してんのか聞いてるんだよ!」

「あの!」

 私は愛神さんに言う。愛神さんはこちらを向く。

「インサニティ退治をすることは私が決めたことなんです。私はHALFの一員として、戦いたいからここに来たんです」

「……そうなんだ。けど、あんたがそんなことする必要はないよ」

 そう言う愛神さんに、柚先社長は言う。

「俺は夜ちゃんをHALFに入れるつもりだったんだけどな。愛ちゃん、インサニティ退治は半年ほど糖くんに任せっきりだったんだし、そろそろ新メンバーがいてもいいと思わない?」

 愛神さんは首を振る。

「いいや、柚先社長はともかく、私はもう動けるんだから、別に新しいメンバーがいなくてもいいでしょ?それに……」

 彼女は、一息置いてから言った。

「夜子ちゃんはインサニティに殺されるよ?」

「……」

 インサニティに殺される。

 私は何も言えなかった。1人でインサニティを倒せるほどの強さが私にはないことは、この身を持って理解している。この間だって、糖蘭さんが来てくれなければどうなっていたかわからない。

 糖蘭さんは愛神さんに反論した。

「いくら夜子といえど、インサニティに殺されるのは大袈裟すぎ……」

「それ、あの人らの前でも言えんの!?半年前のことを忘れたとは言わせないよ!?」

 愛神さんは激昂して、糖蘭さんを睨みつけた。彼女の目線は恐ろしいほど鋭かった。私はそれに恐怖を感じた。

 糖蘭さんはそれに臆することなく口を開く。

「夜子は異能者だ。しかも超能力系の。だから、インサニティと戦える」

「異能者でも弱ければ関係ない!」

「いや、夜子は弱くなんかない。十分強い」

「強ければこんなに怪我なんてしない。っていうか、糖蘭の『強い』は基本参考にならないでしょ!?」

 言い合う2人の間に、柚先社長が割って入る。

「まあまあ2人とも、一旦落ち着こう。2人で強いだの弱いだの言い争っても仕方ないでしょ」

「それはそうかもしれないけど……」

 私は愛神さんに言った。

「いえ、愛神さんのおっしゃっていたことは大体正しいです。私は強くないです。むしろ弱いです。……けど、それでも私は糖蘭さんと、HALFのみなさんと戦いたいんです」

「夜子ちゃんには無理だよ」

 愛神さんは私を否定した。私はそれにむっとした。

「あなたは私の強さを知ってるんですか?私が戦うところを見たことがあるんですか?」

「ないよ。けど、強さなんて見たら大体わかる」

 私は彼女の反論する。

「それでも、実際に見ないと分からないこともあるんじゃないですか?」

「つまりどういうこと?」

「私とタイマンしてください。あなたに勝って、HALFでやっていける力があることを証明します」

「へえ、おもしろいじゃん!いいよ。その勝負、受けて立つ!」

 愛神さんはかなり乗り気のようだ。そして私は、後先考えずに言った自分の言葉に後悔した。

 

 *


 私たちは外に出た。ここの港の敷地は広いので、戦うにはちょうどいい。

 愛神さんは、私から少し離れたところで準備運動をしている。

 後ろの方から柚先社長がやってきて、私の隣に立った。そして、彼女は口を開いた。

「正直に言っちゃうと、夜ちゃんの実力じゃあ正面から愛ちゃんと戦っても勝てないよ」

「やっぱりそうですよね」

「なんでタイマンとか言ったの?」

 私はきっぱりと言った。

「もちろん、ついさっきまではこれが最善の選択だと思ってたからです!」

 そうは言ったものの、正直後悔しかなかった。冷静に考えて、インサニティ1匹を1人で倒すことも難しい私が、異能者と戦って勝てるわけがなかった。

 柚先社長は言う。

「愛ちゃんは神秘量が尋常じゃないから、異能の火力が桁違いなんだよね。まあ、強い力には代償もあるんだけど」

「代償……ですか」

 いつの間にか、愛神さんのもとに糖蘭さんが来ていた。2人は手を繋いで、何やら言い合っている。それを見ながら、柚先社長は続ける。

「愛ちゃんは神秘量の多さゆえに、異能を使うたびに神秘崩壊しちゃうんだよね。夜ちゃんは神秘崩壊したことある?」

「いや、ないです……」

 身体を組成する神秘が正常に機能しなくなった結果、身体にヒビが入ったり、最悪の場合には砕けたりする現象を神秘崩壊と言うらしい。ちゃんと処置すれば治るとはいえ、生きたまま死体のように身体が砕ける恐ろしい現象だ。考えただけで身の毛がよだつ。

「まあそうだよね。普通に生活してれば起きることなんてないし」

「けど、異能を使うたびに神秘崩壊するって、愛神さんは大丈夫なんですか?」

「全然大丈夫じゃないよ。あの子、何度も死にかけてるし」

「え……」

 さらっと言われた事実に唖然とした。

「けど、心配しなくていいよ。糖くんが神秘をチューニングしてくれてるから。まあ、愛ちゃんのバカでかい神秘をリアルタイムで抑え込んでるだけなんだけど」

 私は向こうにいる2人の方を向く。

 柚先社長は続ける。

「ほら、今あの2人、手繋いでるでしょ。あれで、糖くんが愛ちゃんの神秘を遠隔操作できるようにしてるんだよ」

「糖蘭さんってそんなことできるんですか」

「いや、糖くんの能力っていうよりは、あの2人の相性の問題だね。たまたま2人の相性が良かっただけ。現に、糖くんがHALFに来たのって、ほとんど愛ちゃんのためだったし」

「そうですか……」

 柚先社長の言葉を聞いて、なぜか複雑な気持ちになっている自分がいた。糖蘭さんのお人好しは何も私に対してだけではないということは、最初からわかっていたはずなのに。

 いや、今は余計なことを考えている暇はない。たとえ勝てなかったとしても、何もしなければ、私の決断が無下になってしまう。私は指をバキっと鳴らして、一歩前に出た。



 準備が整った私と愛神さんは、互いに向かい合った。

 愛神さんが話しかけた。

「一応聞いておくけど、夜子ちゃんって強度どのくらい?」

「1です」

「それ本当!?屋根から飛び降りただけで致命傷じゃん」

 愛神さんは驚いていた。

 私は彼女に聞く。

「愛神さんはどのくらいなんですか?」

「私は2だよ。あ、ちなみに柚先社長は5で糖蘭は4ね」

「あの2人に比べたら脆いんですね」

「強度なんて、圧倒的力があれば気にしても仕方ないし、どのみち私が勝つんだから!」

 愛神さんは自信満々だった......というわけでもなかった。意気揚々と発された声には、勝たなければならないという、どこか強迫観念みたいなものも含まれているような気がした。

 少し離れたところに糖蘭さんが立っており、その横には柚先社長も立っていた。2人の身長は頭1つ分の差がある。

 糖蘭さんが言う。

「僕がストップかけたら、そこで勝負は終了ね。2人とも、頼むから無理はしたらダメだよ。愛神はついこの間怪我が完治したばっかりだし、夜子はまだ戦闘に慣れてないし……っていうか、本当にやるの?」

 糖蘭さんはあまり乗り気ではないようだった。柚先社長は腕を組んで、彼女に反応する。

「糖くんは心配性だね。適度に互いを潰し合ってこそ異能者なのに」

「先輩の変な異能者像は結構です」

「天下一武道会とかワクワクしない?まあ、糖くんは平和主義だし、しないか」

「柚先社長は置いといて、2人とも、準備はいい?」

「はい!」

「いつでも来い!」

 私と愛神さんは返事をした。

「それじゃあ始め!」

 糖蘭さんの合図と共に、私は足に力を入れた。緊張で心拍数が上がって、全身に血が巡る。

 愛神さんは周囲にいくつかの光の球を出したかと思うと、そこから白く光るビームを放った。

 私は咄嗟にジャンプして上に逃げた。

 ビームはさっきまで私がいた地面に着弾する。

 自由落下する私の目前に、愛神さんはやってきた。手から光の球を出したかと思うと、それを私に押し付けてきた。

 私は光の球に触れる前に、愛神さんめがけて念力を放った。

「えいっ!」

 愛神さんは数メートルほど吹っ飛んだが、空中で2回転すると受け身の姿勢で地面に着地した。

「なかなかやるじゃん。けど、これはどうかな?」

 愛神さんはそういうと、再びビームを放った。

 しかし、1回目のそれよりも数が多かった。

 地面に着地した私は全力で走った。

 私が通った場所の地面をレーザービームが焼いていく。

「避けるねぇ!」

 愛神さんは楽しげに口角を上げる。

 すると、全方位からビームが飛んできた。避けきれない。

「っ!!」

 私は足を止めて、咄嗟に顔を腕でブロックした。残念ながら、私は糖蘭さんみたいなバリアは使えない。

 たくさんのビームに焼かれる思いきや、そうはならなかった。ビームたちはスレスレのところを通り過ぎ、私の周囲の地面に着弾した。

 下げた腕にピリッと痛みを感じたと思ったら、そこだけビームがかすったらしく、血が一筋垂れてきた。

 愛神さんにその気があれば、私は殺されるところだった。それだけ彼女の異能は強かった。

 愛神さんは私に話しかけてきた。

「どう?降参する?」

「まだしません!」

「そっか、ならもう1段階ギアをあげよっか」

 そう言うと、愛神さんは手の上で出した光の球を、こちらに投げてきた。

 私はそれを避けようとしたが、光の球は私の2メートルほど前で爆発した。

 途端に視界が明るくなったかと思うと、私は爆風で飛ばされた。

「ああっ!」

 私の身体はコンクリートの地面に打ち付けられた。衝撃による痛みに全身が襲われる。ズキズキする。

 それでも愛神さんは追加の光の球を手に近付いてきた。

 私はなんとか立ち上がり、彼女に向けて念力を放つ。

 しかし、彼女には当たらなかった。

「エイムがブレてるよ」

 光の球から出たビームが、私のツインテールをかすった。わずかに焦げくさい匂いがする。

「っ!」

「次は耳だ、なんちゃって。そろそろ降参しな」

 またレーザービームが飛んでくる。

「まだしません!」

 私はそれを避けながら、愛神さんの方へ走った。そして、拳に念力を込めて彼女に突き出した。

 しかし、私の拳に当たったのは彼女の身体ではなく、光の球だった。

 光の球は私のゼロ距離で爆発した。

「ああああ!!!」

 爆発音と爆風に巻き込まれた。そのまま数メートル飛ばされた。手が熱い。まるでやけどになったみたいだった。

「夜子ちゃんはやっぱり弱いね。たった2回の、それもほとんど見た目だけの爆発でここまでダメージが入るとは」

 愛神さんはゆっくりと私に近づいてくる。

「……まだ降参するつもりはありませんよ」

 私はなんとか立ちあがろうとする。

「へえ、いい度胸じゃん。けどね、やっぱり実力がないとダメなんだよね」

 愛神さんはそう言って光の球を出したかと思うと、それを剣のような形に変形させた。

「あんたじゃ私には勝てない。……別にいじわるしたくてこう言ってるわけじゃないんだ」

 光の剣から発せられる殺気に、私の背筋が凍った。いや、これはブラフだ。私を降参させるためのハッタリだ。

 私はなんとか立ち上がった。けど、これからどうする。距離を取ればビームが飛んできて、距離を詰めれば爆発に巻き込まれる。おまけに光の剣。直撃すれば、一発アウトだ。

 私が勝てるとすれば、それは彼女が異能を使えなくなった時しかない。

 そのとき、私はひらめいた。正直一か八かだった。けど、少しでも可能性があるならやるしかなかった。

 私は右腕に大量の念力を込めながら、愛神さんの方へ駆け出した。

「何度やっても同じだよ!」

 愛神さんは大量のビームを放つ。

 私はそれらの合間を縫うように愛神さんの方へ走った。避けきれなかったビームが頬や腕にかすり、血が滲んでくる。そんなことは気にも留めなかった。

 愛神さんが間合いに入る。それは、私が彼女の間合いに入ったことでもある。

 彼女は光の剣を私に向けて振りかざす。

 その瞬間、私は進行方向を変えた。

「え……ってどこいくねーん!」

 光の剣は空を切った。

 困惑する愛神さんの声が後ろから聞こえてくる。

 私は思いっきり地面を蹴り、糖蘭さんとの距離を詰めた。

「???」

 糖蘭さんは何が起こっているのかわからない様子でこちらに顔を向けた。

 柚先社長の言っていたこと、そして私の仮定が正しいのなら、糖蘭さんを気絶させれば愛神さんのチューニングはできなくなる。つまり、彼女は異能を使えなくなる。

 糖蘭さんの強度は4。私がただ殴っただけでは、気絶させられるダメージにはならない。だから、私はありったけの念力を右腕に込めた。

 右腕から紫色のオーラが出てきて、それは大きい拳を作り出した。

 なんの関係もない糖蘭さんを殴るのはもちろん私の良心が痛みまくった。それでも、やっと見つけた、異能者の自分を受け入れてくれる場所のため、自分の決意を無下にしないため、愛神さんを倒すためにできる最後の手段はこれだった。


「お許しください糖蘭さん!」

 私は持てる力の全てを出し、全力で糖蘭さんの顔面を殴った。


「ごはっ」

 鈍い音が響く。

 衝撃波で地面のコンクリートが盛大にえぐり取られる。

 無抵抗の糖蘭さんはそのまま何十メートルも吹っ飛んだ。そして、口から血を出して意識を失っていた。

「わあ、随分大胆だなぁ」

 柚先社長は呑気に言った。糖蘭さんの隣で衝撃波をもろに喰らったにも関わらず、彼女は平然としていた。

「隙あり!」

 愛神さんはそう言うと、さっきより大きくなっている光の剣を突き出してきた。

「っ!」

 わたしは咄嗟に振り返ったが、間に合わない。

 しかし突然、愛神さんの動きが止まる。光の剣も消滅する。

 そして、バキッとガラスにヒビが入るような音がしたかと思うと、彼女の腕から血が吹き出した。

「うっ……」

 彼女は顔を歪めてよろめいた。

 一瞬何が起こったのか分からなかった。しかし、私はこれが神秘崩壊だということに気がついた。

「大丈夫ですか!?」

 私は愛神さんに駆け寄った。

 垂れた指から鮮やかな赤が滴り落ち、地面の灰色を染めた。ヒビが入り、赤黒い断面が入った腕が、袖から覗く。思わず目を逸らしたくなるような痛々しい腕を押さえながら、愛神さんは私と目を合わせる。

 彼女の目の中の星は、嬉々として輝いていた。

 私は彼女に言った。

「降参してください。私の勝ちです」

「やだね。もしかして、私が異能を使えなくなったら勝てると思ってる?」

「それは……」

 図星をつかれた私は言葉に詰まった。

 すると、糖蘭さんを横向きに抱えた柚先社長が近づいてきた。

「勝負はこれで終わり。夜ちゃんの勝ちだよ」

「ちょっと、社長!?何勝手に決めてんの!?」

「愛ちゃんの気持ちもわかるけどさ、神秘崩壊してるところでこれ以上戦うのはさすがにまずいよ」

「けど……」

 愛神さんは、少し間を置いてから言った。

「いや、やっぱりいいや。今回は私の負けだ」

「っていうことは、これで私もHALFの一員ってことですか?」

「まあね。けど、勘違いしないでね。私はあんたより強いから」

 敗者から出た負け惜しみのような言葉。しかし私は、愛神さんが強いということをよく分かっていた。

 

 *


 糖蘭さんと愛神さんの手当てを済ませたあと、私は柚先社長に連れられて、1階の物置に来ていた。

 部屋には、銃や剣らしきものから、どうやって使うのか見当もつかない機械まで、大量の物が足場を確保するので精一杯なくらい溢れかえっていた。

 柚先社長はそれらを掻き分け、部屋の奥にある棚の引き出しの中を漁っていた。

「ここにあるものってなんですか?」

 私は部屋を見渡して聞いた。

 柚先社長は、背を向けながら答える。

「神秘を利用して動く道具、通称アーティファクトだよ。昔いたメカニックが大量に開発したんだけど、ご覧の通り、ほとんど使ってないね」

「武器とかいっぱいありますし、インサニティ退治に使ったりしないんですか?」

「うーん。使えるなら使いたいところだけど、なんせ実用性皆無なやつばっかりなんだよね」

 私は彼女に近づこうとして、通り道を塞ぐように横たわるレールガンらしきものをどけようとした。

 しかし、柚先社長が言う。

「あっ、それあんまり触らないでね。一発打っただけで死ぬほど神秘崩壊するやつだから、危ないよ」

 私は、思わず伸ばした手を引っ込めた。

 たしかに、こんな危険物は使わない方が賢明だ。というか、そんな危険なものなら、もうちょっと厳重に保管するべきだと思った。

「この部屋もうちょっときれいにした方がいいんじゃないですか?」

 私はそう言ったが、きれいにすべきなのはこの部屋だけではなかった。ダンボールが廊下に放置されていたり、この事務所全体が散らかっていた。

「俺、あんまり片付け得意じゃないんだよね……って、あった!」

 柚先社長は引き出しからガラケーを3つ取り出した。

「ガラケーですか?」

「ただのガラケーじゃないよ。インサニティ探知もできるし、独自回線で連絡もできる。おまけに神秘で動いてるからバッテリー切れの心配もない。アーティファクトにしては珍しい実用性しかないやつだよ」

「もしかして、糖蘭さんが持ってたのもこれですか?」

「そうそう。これがないとインサニティ退治できないからね。HALFはみんな持ってるんだ。好きなの選んでいいよ」

 柚先社長はそう言って差し出した。

 淡く青みがかかった白色と黄色とピンク色の3色。3つの中で、ピンク色のものは少し型が違うようだった。

 私は、どれにするか考える。特に性能差はなさそうなので、シンプルな白がいいなと思った。しかし腕を伸ばそうとした瞬間、やっぱりピンクを選ぶべきだという気持ちになった。完全に直感だった。

「これにします」

「それは俺が昔使ってたやつだよ」

「今は違うのを使ってるんですか?」

「そうそう。後からそのピンクよりこっちの方がいいなって思ったんだよね」

 柚先社長はそう言うと、ポケットから若草色のガラケーを取り出した。そして、自慢げに見せてきた。

「いいでしょ」

「はい」

「さて、糖くんも目覚めてるだろうし戻ろっか……って言いたいところだけど、愛ちゃんが外で黄昏てるよなぁ」

「愛神さんなら部屋にいたと思いますけど」

「いや、あれは起きた糖くんに怒られて拗ねて外にいるね」

「そうなんですか」

「そうだよ。だから夜ちゃん、ちょっと愛ちゃん呼んできて」

「……わかりました」


 *


 外に出ると、柚先社長の言った通り、愛神さんがいた。彼女は海の方に足を投げ出して座っていた。

「……愛神さん」

 私は彼女に声をかけた。

「夜子ちゃんか。隣、座りなよ」

「失礼します」

 私は言われるがままに座った。

 すっかり夕焼け色に染まった空を反射する水面はゆらゆら揺れながら輝いている。

「……きれいですね」

 私は思わず声を漏らした。

「そうだね」

 愛神さんの腕には、包帯が巻いてある。さきほど柚先社長が巻いたものだ。

「愛神さん、私の加入を認めてくれてありがとうございます」

「そりゃあ、糖蘭殴るほど覚悟決まってるのは認めざるを得ないよ」

「あはは……」

 私は苦笑いした。

「……実は私も、最初はHALFの加入に反対されちゃったんだよね」

 愛神さんは、ポツリと呟いた。

「えっ、そうなんですか?愛神さん、強いじゃないですか」

「あのときの私は、自分の異能のことも考えずに、ただ憧れだけでHALFに入ろうとしてたバカだよ。……夜子ちゃんを見てると、そんな自分を思い出しちゃってさ。けど、あんたは私とは違った」

「……」

「私は糖蘭を頼った。そのせいで危ないことに巻き込むなんて考えもしないでさ。けど、夜子ちゃんは自分の力で頑張った。まあ、私の方が強いんだけど」

「またそれ言いますか」

 私は笑いながら言った。

「もちろん。私は強くないとダメだからね」

「そうですか……」

 やはり、愛神さんは強さに並々ならぬこだわりがあるらしい。理由は分からないし、今は聞かない方がいいだろう。

 私は立ち上がった。

「そろそろ戻りましょう。柚先社長と糖蘭さんが待ってます」

「そうだね」

 そう言うと、彼女は立ち上がった。そして、思いついたように言った。

「あ、そうだ。これから、私のことは先輩呼びしてくれないかな?」

 そういえば、糖蘭さんも柚先社長のことを先輩呼びしていた気がする。

「もちろんいいですよ、愛神先輩!」

 私はそれを快諾した。


 *


 2階の会議室に集まった私たちは、パイプ椅子に座り、ホワイトボードの前に立つ柚先社長の方に顔を向けた。

「さて、無事夜子ちゃんもHALFに加入してくれたところで、うちの活動内容について確認していこう」

 そう言うと、彼女は人差し指を立てた。

「まず、不定期に現れるインサニティ退治。ここ数日は、いつもより出現頻度が高くなってるから、これからは愛ちゃんも夜ちゃんも頼むね」

「はい!」

「任せて!」

 私と愛神先輩は威勢よく返事をした。

 柚先社長は、人差し指に加えて中指も立てて、続けた。

「それと、もう1つ。イレギュラー02の討伐。これは慎重に進めていかないといけない」

「何ですか?02って」

 私は質問した。

「夜ちゃんはイレギュラー事件って知ってるよね」

「はい。テレビで知った程度ですが、まだ半年しか経っていませんし、よく覚えています」

「あのとき何十人という人たちを殺して、香格里と彩桃あたりにかなりの被害を及ぼしたのが、俺らがイレギュラー02って呼んでるインサニティなんだ。イレギュラーっていうのは、普通のインサニティより格段に強くて厄介なんだよね」

 イレギュラー。その名前は私もよく知っている。それは異能者を取り込んで生まれるインサニティである。10年ほど前に、初めてレユアンに現れたときは、多くの異能者が戦えたので大きな被害はなかったが、イレギュラーのせいで世間の異能者に対するマイナス感情が大きくなったとも言われている。

「けど、イレギュラー02はあのとき倒されたって聞いたんですけど」

「そうだよ。あいつは私がこの手でトドメを刺した」

「愛神先輩がやったんですか!?さすがです!」

「まあねー」

「ところがどっこい。ここ数週間ほど、イレギュラー02らしき姿がたびたび目撃されてるんだよね。あいつは頭から角と羽が1本ずつ生えてるから、分かりやすいんだ」

「それって、イレギュラー02が復活したっていうことですか?」

「その可能性が濃厚だね。現に、愛ちゃんがトドメを刺したときに消滅しなかったし、取り込まれた異能者も未だ見つかってない」

「それじゃあ、イレギュラー02はレユアンのどこかにいるってことですよね……早く見つけないと、また、たくさんの犠牲者が出ることになりますよね」

「その通り……」

 柚先社長は目を瞑って答えた。

 糖蘭さんが言う。

「けど、イレギュラーはガラケーの探知に引っかからないから、また厄介なんだよね」

 柚先社長は頷きながら言う。

「それに、今のメンツでは見つけたところで勝てるかどうか微妙だし、向こうに動きがない限りはそっとしておきたいっていうのが本音だね」

「そんなに強いんですか」

「今はいないメンバーの2人を含めた5人で戦ってドローって感じ」

「なるほど……」

 インサニティを1人で締め上げる糖蘭さんと、彼女より強い愛神先輩、そしてその2人をまとめる柚先社長。それに加えてあともう2人もいてドローとなると、イレギュラー02の強さは想像に難くなかった。いずれはそれと戦わなければならないと考えると、気が滅入る。

 柚先社長はパチンと手を叩いた。

「この話はこのくらいにしておこうか。さあ、今日は遅いし、これで解散としようか」

 窓を見ると、日は落ちて外はすっかり暗くなっていた。

 私たちは立ち上がった。

 愛神先輩が腕を伸ばしながら言った。

「お腹すいたー!」

「たしかに。せっかくだし、みんなで食べに行くのはどう?」

 糖蘭さんが提案した。

「それなら、俺、ここらへんの安くて美味しい中華料理の店知ってるんだよね。茗龍っていうんだけど」

「いいですね!」

「じゃあ夜子ちゃんの歓迎会しよっか!」

 私たちは、揃って部屋をあとにした。


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