第9話、ライブスタート
- もやし 朝稲
- 10月21日
- 読了時間: 21分
何日か過ぎた。
雨筆さんが出てきたあの夢を見てから、今のところは特に何も起きていない。
しかし、あれは間違いなく予知夢だった。
今でも夢の内容が、頭をぐるぐると巡っている。
いずれ何かが――雨筆さんの身に危険が迫るかもしれないし、それこそ、またイレギュラーが現れるかもしれない。
それでも今のところは、インサニティが現れれば退治するような、普段通りの生活を送っている。
もちろん、私は修行も続けていたし、糖蘭さんは愛神先輩の捜索を続けていた。
私も愛神先輩のことは心配なので、できる限りは糖蘭さんに同行した。
しかし、月湖地区や海一地区などの、ほとんど行ったことのないような地区に行っても、愛神先輩を見つけることはできなかった。
まあそもそも、広いレユアンを2人だけで捜索すること自体が、かなり無理のあることだ。仕方がない。
それでもなお、糖蘭さんは懲りるつもりがないようだし、柚先社長は相変わらず何も教えてくれない。
私には、現状をどうこうすることはできなかった。そうして、時間だけが過ぎていった。
*
何日経っただろうか。今日は、蛍東さんと私の2人だけで修行していた。
空には雲1つなく、清々しいほどの修行日和だ。
私たちは先ほど数分走って、事務所前に戻って来ていた。
「もう飽きたっす!もうやめましょ」
蛍東さんはそう言うと、地面に大の字で転がった。
急な彼女の言葉に、私は驚いた。
「ええ……まだちょっとしかやってませんよ?」
「んなもん知るかっす」
本当はもう少し続けたいのだが、彼女はすっかりへそを曲げている。
「最初はノリノリだったじゃないですか」
「気持ちってもんは常に変化するもんっす」
「だからって、こんなすぐに飽きますか……」
私は彼女の状態に辟易した。
「っていうか、社長と糖蘭はどうしたんすか」
「柚先社長は今日忙しいっぽいですし、糖蘭さんは起きてくれませんでした」
「社長はまあわかるとして、なんなんすか糖蘭は」
「あの人、定期的に絶対朝起きてくれない時があるんですよね」
「どうせ修行がめんどくさいんっすよ」
「それはどうだか……」
「大体、こんなことしてどうなるんすか?」
蛍東さんは、そう聞いてきた。
私は答える。
「もちろん、強くなるんです」
「で、イレギュラーを倒すんすか?」
「まあ、そんなところですね」
「雑魚夜子がそんなことできるとは思えないっすけど」
「言わせておけば!これでも私、イレギュラー02と互角に戦ったんですよ?」
「へー、すごいすごい」
「ぐぬぬ……」
そんな風に話していると、突然後ろから声をかけられた。
「俺、参上」
振り向くと、そこには変なポーズをした酒夜さんが立っていた。そして、そんな彼女は真顔で坦々と聞いた。
「お前は誰だ」
表情から感情はわからないが、おそらく単純に蛍東さんのことが気になったのだろう。
しかし蛍東さんには、酒夜さんの姿が威圧的に見えたらしい。
「あ?なんすか、なんか用すか」
蛍東さんは起き上がって、怪訝そうに聞く。
私は咄嗟に2人の間に割って入り、酒夜さんに蛍東さんを紹介した。
「新しいメンバーの蛍東さんです」
酒夜さんは納得がいったように頷く。
「なるほど、HALFにも新メンバーってわけか」
「あんた、夜子のダチっすか?」
蛍東さんの問いに、酒夜さんは答える。
「そうだ。私は空前絶後の超絶怒涛の夜ヌンテゥスのダチ、サンシャイン酒夜だ。いえーい」
酒夜さんはそう言うと蛍東さんに近づいて、表情一つ変えずにテンション高めの動きをする。
「近いっす!やめろっす!」
蛍東さんはそう言いながら酒夜さん制止した。
「あんまり乱暴するなよ。私は非異能者だ」
「え、あんた非異能者なんすか?」
「そうだが」
蛍東さんは驚いているようだったが、酒夜さんのような非異能者は珍しいので、無理もない。
「自分から異能者に関わりにくるようなやつって、随分と珍しいやつもいるもんっすね」
「あいにく、私はかなりニュートラルな人間なもんでな。それはさておき、お前たちは今何してたんだ?もしかして修行?」
「その通りです。今休憩してるところですけど」
「なるほど。それじゃあ、私も参加させてもらおう」
「え、あんたが修行なんかして、何になるんすか?インサニティ退治するわけじゃないんすし」
「なんかすごい力が覚醒するかもしれないだろ」
「ガチで言ってるんすか?バカなんすか?」
「おいおい、バカとはなんだ。バカとは」
「あくまであたし個人の意見を述べただけなんすけど?何か問題でも?」
2人の間に、良くない雰囲気が流れる。
「2人とも、喧嘩はダメです!」
私は2人を制止した。
どうやら、2人の相性はあまり良くないらしい。
蛍東さんは一歩下がって言った。
「まあ、今日はこの辺にしとくっす。あたしはここで消えるっす」
「はあ……今度はちゃんと最後まで付き合ってくださいね?」
彼女は私の言葉を聞いているのかいないのか、目にも見えないスピードでどこかに行ってしまった。
そんな彼女が去った後を見て、酒夜さんは呟く。
「随分自由なやつだな。あんなやつが、新しいHALFのメンバーなのか?」
「そうなりますね」
「お前も色々大変だな」
「まあ、仲間になってくれただけありがたいですよ」
私はそう言って、笑って見せた。
「さて、そろそろ修行としますか」
「私も参戦するぞ」
「じゃあ、一緒に商店街の方にでも行きましょうか」
「おっ、そうだな」
酒夜さんは意気込みながら返事をした。
日が傾き始めた頃には、私と酒夜さんは修行を終えて、帰路に就いた。
酒夜さんと別れて、駅まで1人で歩く。
真っ赤な夕焼けが、アジアンチックな街並みに色をつけている。人気の少ないその景色は、私たちが忘れてしまったような哀愁を漂わせていた。
――そういえば、冷蔵庫に鶏肉と卵があったっけ。晩御飯はオムライスにしようか。
そんなことを考えていると、見たことのある人影がいた。
雨筆さんだ。
「あ、夜子ちゃん」
私に気づいた彼女は、笑顔でこちらに近づいてきた。
彼女の艶やかな髪の毛が夕日に照らされ、キラキラと輝いている。
私の目には、そんな彼女が眩しく映った。
雨筆さんは話しかけてくる。
「こんなところで、偶然だね。もしかして、修行でもしてたの?」
「ええ、そんなところです」
「夜子ちゃんも頑張ってるんだね」
私は褒められて、少し嬉しくなった。
「まあ、ありがとうございます。……雨筆さんは何してたんですか?」
「ちょっとお仕事。けど僕、あんまり彩桃には来ないから、ちょっとお散歩も兼ねてっていう感じ」
「そうですか……元気そうでよかったです」
「うん、僕は元気だよ?」
雨筆さんは不思議そうにしながらも、そう答えた。
私は一安心した。どうやら、今のところは大丈夫そうだ。それでも、予知夢を見た以上、油断は禁物だ。
「そういえば夜子ちゃんはさ、インサニティ退治、怖くないの?」
彼女は急に、こんな質問をしてきた。
いきなりのことで、私は一瞬どう答えるか迷った。
「……怖くないって言えば、嘘になります」
「なんか、蛍くんはインサニティ退治楽しいって言ってたけど、やっぱりそうだよね。普通は怖いよね」
「ま、まあ」
「じゃあ、なんでそんなことしてるの?危険な割には得られるものもない気がするけど……」
「たしかにそうですね。けど私、糖蘭さんの役に立ちたいんです」
「ふーん……」
「どうしたんですか」
「いや、てっきり、もっと正義のヒーローみたいなこと言うのかと思ってたから」
「私はヒーローになんてなれませんよ。ずっと、居場所を求め続けるはぐれものですから」
「居場所ねえ……」
雨筆さんは、ふと空を見上げた後、私の目を見て言った。
「夜子ちゃんって糖蘭くんのこと、好きなの?」
「っ!?」
自分の意思とは関係なく、体温が熱くなる気がした。
「蛍くんが、君たち2人の話をいっぱいしてくれるからさ。ちょっと気になっちゃって」
「そうですか……」
「で、どうなの?」
「どうとか言われても……そりゃあ糖蘭さんには、助けていただいた恩がありますし……」
私がしどろもどろしていると、雨筆さんはふふっと微笑んで言う。
「急に言われてもわかんないよね。けど、君たちって素敵だと思うよ」
「そ、そうですか?」
また褒められた。
「それに、僕たちとちょっと似てるかも……」
雨筆さんは、小さくそう呟いた。
「どういうことですか?」
「ああごめん。こっちの話。あっ!そういえば――」
彼女が言ったことが気になって、詳しく聞こうとしたが、彼女は話題を変えてしまった。
「実は今度ライブやるんだけど、よかったら来てくれないかな?」
「えっ、いいんですか?」
「もちろん!みんなで来てよ」
「じゃあ、そうしますね」
「それじゃあ、またね。ライブ楽しみにしててね」
雨筆さんはそう言うと、去って行ってしまった。
私と糖蘭さん、2人で晩御飯を食べる。
結局、今日はオムライスを作った。
なかなか成功だ。ご飯の味付け、卵の焼き加減、形のどれを取っても上手くできた。
私は満足しながら、口一杯に頬張る。
「ふと思ったんだけどさ」
テーブル越しに、糖蘭さんは口を開いた。
「どうしたんですか?」
私は口に運びかけていたスプーンを止める。
「夜子って、よくオムライス作るよね」
言われてみれば、たしかにその通りかもしれない。1週間前にも作った記憶がある。
あまり高頻度では、さすがの糖蘭さんでも嫌気がさしたか。
「すいません」
「いや、謝る必要なんてないよ。むしろ、とってもおいしいし。ただ、夜子の好きな食べ物なのかなーって。それがちょっと気になっただけ」
彼女はそう言うと、微笑んだ。
「まあ、好きではありますし……昔からよく作ってるから、作り慣れてるっていうのもあります」
「なるほどねえ。いいね、そういうの」
糖蘭さんはそう言いながら、おいしそうに食べた。
そんな彼女を見ていると、どこか不思議な気持ちになる。
「糖蘭さんって、私のこと好きですか?」
何聞いてんだと思いながらも、こんなセリフが口から出てきた。
「もちろん」
糖蘭さんは、そう答えた。あまりにもさっぱりと答えた。
私は、カウンターを受けたように面食らった。
「逆に、嫌いだったらここまで一緒にはいないだろうね」
「そ、それはそうかもしれませんね」
「けど、なんで急にそんなこと聞くのさ」
「なんとなく……ですかね」
「そう」
糖蘭さんは、不思議そうな顔はしつつも、これ以上追及することはなかった。
話題を変えることも兼ねて、私は雨筆さんのことを切り出した。
「そ、そういえば、今日雨筆さんに出会ったんですけど、近いうちにライブをやるらしいですよ」
「へえ。やっぱあの子はすごいね」
「ですよね。それで、よかったら一緒にライブ行きませんか?」
「いいね、それ。行ってみたい!」
「それじゃあ行きましょ!きっと雨筆さんも喜んでくれますね」
「そうだね」
*
ついに、ライブの日がやってきた。
せっかくなら人数は多い方がいいので、糖蘭さんに加えて柚先社長と酒夜さんも誘った。
しかし柚先社長には、用事があると言われて断られてしまったので、最終的に3人で挑むことになった。
会場は神宮地区のライブハウス。
私たちが入場した頃には、かなりの人で賑わっていた。
前の方にステージがある。ここで雨筆さんが歌うところを想像すると、ついライブのスタートが待ち遠しくなる。
「そういえばですけど……」
私は、右隣にいる酒夜さんの方を見ながら言う。
「どうした夜ヌンティウス」
「今日は随分と黄色いですね」
彼女は黄色のチャイナ服を着ていた。普段は赤色の服を着ているところばかりを見るので、あまり見慣れない光景だ。
「そりゃあ、アイドルのイメカラに合わせた方がいいだろ」
酒夜さんはそう言った。
「さすが酒夜。わかってるじゃん」
そう言う糖蘭さんも、何本もの黄色のペンライトで装備を固めていた。
2人を誘ったのは私のはずだが、私より気合が入っている気がする。まあ、2人が楽しそうにしているなら、私も嬉しい。
そうこうしてしばらく待っていると、いよいよライブスタートの時間が来た。
全ての照明が消え、暗闇に包まれる。
「ひいっ!」
糖蘭さんは、突然私に抱きついてきた。
「っ!?」
急なことで驚いたが、そういえば彼女は暗いところが苦手だった。
振り解くのも可哀想なので、彼女のことはそっとしておいた。
ステージの一点にライトが集中する。
照らされた先には、マイクを手に持った雨筆さんが立っていた。
半透明のスカートが特徴的な、黄色の衣装に包まれたその姿は、ライトに照らされて輝いているようにすら見える。
私が知っている雨筆さんとは似つかない雰囲気をまとっていた。
歓声が沸き上がる。
音楽が流れ始める。
ステージ上の雨筆さんは堂々としていて、楽しそうな笑顔でステップを踏む。
彼女は息を大きく吸い込み、歌いだした。
その透き通るような美声は、スピーカーを介してフロアを満たし、この場にいるすべての人の心を魅了していく。
もちろん、私も例外ではなかった。
ずっと聴いていたくなるようなくらい、きれいな声だった。
どんどんと時間が過ぎ去っていく。
気づけば、最後の1曲を残すのみとなっていた。
音楽が流れ始める。
それに合わせて、照明が強くなっていく。
しかしその時だった。
音楽が止まり、照明も消えた。
フロアが暗闇と静寂に包まれる。
観客の方からは、どよめきが聞こえてくる。
ステージ上の雨筆さんも戸惑っているようだった。
停電?機材トラブル?一体何が起こっているのか?
答えはすぐに判明した。
突然、振動を感じたかと思うと、ステージの真上の天井が、轟音と共に崩壊した。
「うわああ!!」
雨筆さんは咄嗟に客席の方に飛び込む。
割れていく照明のガラス。落ちてくる天井。舞う砂埃。そして、その中から現れたインサニティと、それを追うようにしてやって来た柚先社長。
一気に混乱が巻き起こった。
あまりにも突然のことで、私も理解が追いつかなかった。
しかし、ここで失態に気づいた。
私たちは、ガラケーの音を鳴らないようにしていた。だから、インサニティに気がついたのは柚先社長だけだった。
異変を察知した蛍東さんが、裏から出てきた。
インサニティは咆哮したかと思うと、観客たちの方へ向かう。
観客たちは、一斉に出入り口に押し寄せる。
インサニティを前に、非異能者は無力だ。
このままではまずいと思ったが、咄嗟に出てきた糖蘭さんがチェーンでインサニティを拘束し、足止めする。
「なんでこんなところにインサニティが来たんですか!?」
私は半ばパニックになって聞く。
柚先社長は冷静に答える。
「残念だけど、俺にもわからない。インサニティはどこにでも現れるものだから、理由なんて必要ないのかもしれないね」
「とにかく、今はこいつの退治!それと、お客さんたちの保護!」
糖蘭さんはそう言いながら、インサニティを拘束し続ける。
私はふと気になって、隣にいる酒夜さんの様子を確認する。
彼女の表情は相変わらず無表情のままだ。
しかしよく見ると、頬から血が流れていることに気づいた。おそらく、瓦礫の破片が当たったのだろう。
私は彼女に言う。
「酒夜さんは逃げてください!ここは私たちがなんとかしますから」
「あ、ああ」
酒夜さんは突然のことで呆然としていたのか、やや歯切れの悪い返事をして、出入り口に向かった。
その瞬間、インサニティは糖蘭さんのチェーンをかみ砕き、拘束から逃れた。
相手が好き勝手に暴れないうちに、私は腕に念力を込めて、全力で殴りかかった。
「おりゃあ!」
「グアッ!」
インサニティは壁を貫通して、外に飛び出した。
私たちは、空いた壁からインサニティを追う。
「よくも邪魔してくれたっすね!」
蛍東さんは怒りを露わにしながら、インサニティに殴りかかる。
しかし、相手の拳の方が先に、蛍東さんに直撃した。
彼女は私の方まで飛んできて、そのままぶつかった。
「うっ」
自分の体より若干大きいものが直撃する衝撃は割と強いもので、受け止める間もなく、私は倒れた。
結構痛い。
私たちの体勢が崩れている隙を狙ってか、インサニティは次に、雨筆さんの方に頭を向けた。
「ひいっ……」
彼女の顔は絶望に染まる。
しかし、それも一瞬だった。
柚先社長は僅かな隙を突いて、後ろからインサニティの首を掴んだ。そして、そのまま握り潰した。
ぐしゃぁという音と共に、インサニティの首と胴体が分離し、黒い煙となって消えていく。
荒れたこの空間には、私たちだけが立っていた。
インサニティにとどめを刺す時の柚先社長は、いつも少し怖い顔をしているなと、そう感じる。
「もう……やだよ……」
雨筆さんは泣きそうな声で、小さくそう言った。
*
次の日。
私たちは愛神先輩を除くHALFのメンバーで、茗龍に来ていた。
4人で料理の並んだテーブルを囲み、頭を抱える。
「そういうわけで、雨筆はすっかり部屋でひきこもっちゃったっす」
蛍東さんは、餃子を食べながらそう言った。その態度は、どこか他人事のようだった。散々な結果過ぎて、吹っ切れてしまったようだ。
糖蘭さんは反応する。
「まあ、無理もないよ。ライブは失敗、おまけに自分は異能者バレ。誰だってそうなる」
すると、酒夜さんが近づいてきて、私たちの輪に入った。
彼女の頬には、ガーゼが貼ってある。
「異能者バレって、そこまでダメージがデカいものなのか?」
彼女の疑問に、蛍東さんは反応する。
「当たり前っす。……人前に出るなら尚更」
「それじゃあ、これからの雨ぽよの活動はどうなる」
「ま、当分はお休みっすよ。ファンから何言われるか、わかったもんじゃねえっすし。……っていうか、あんたは仕事しなくていいんすか?職務怠慢っすか?」
「安心しろ。この時間帯は客が少ない」
酒夜さんはそう言うと、真顔でピースした。
彼女の言う通り、店の中には、私たち以外に誰もいなかった。というか、ほとんど私たちのために店を開けてくれているような状態だった。
すると、柚先社長はお茶を飲んで呟く。
「やっぱりひっかかるなあ……」
「どうしたんです?社長」
「いや、あのインサニティのことについてだよ」
「何かおかしいことでもあったんすか?」
「あのインサニティさ、実はあのライブハウスから結構遠い所で発生したんだけど……迷うことなく君らのところへ向かっていったんだよね。そこに何か、意図が含まれていたような気がして」
「そんな長距離移動するインサニティって、聞いたことないですけどね」
糖蘭さんはそう言った。
「インサニティって、自然発生しては無差別に街を破壊して回るものなんじゃないんすか」
蛍東さんは不思議そうに聞く。
「俺もそう思っていたよ。けど、やっぱり昨日のあいつはそうでもない気がするんだ」
それが何を意味するのかはまだよくわからない。しかし、確実に何か良くない方向へ向かっている気がした。
その時だった。
突然、何か禍々しいものを感じ取った。そして、あの時の夢がフラッシュバックした。
水没したレユアンの街と、真っ赤な水に浮かぶ雨筆さん――。
こうしてはいられない。
私は席から立ち上がった。
「夜子どうしたの?」
糖蘭さんは驚いている様子だった。
「私、ちょっと行かなくちゃいけないんです」
4人をよそに、私は店を出た。
全力で走る。
このままでは、雨筆さんが危ない。
理由はないが、そう感じた。
ひたすら自分の中に湧いてくる感覚を頼りに、走る。
自然と北の方に向かっているようで、ついには神宮まで来てしまった。
そして、人気の少ない路地に入った途端に、禍々しいものは嘘のように消えてしまった。
さっきまでのは何だったのか。
呆気に取られた。
周囲を見渡しても、怪しいものは何もない。
「勘違い……ですか」
私はそう思って、引き返そうとした。
その時だった。
私の背後に、雨筆さんが立っていた。
「えっ、……雨筆さん?」
彼女はひきこもっているはずではという疑問を持ちながらも、私はおそるおそる話しかける。
「夜子ちゃんのこと、探してたんだよ?」
彼女はそう言った。
「え、どうしてですか?」
「それはね――」
雨筆さんは笑った。その笑顔は、ステージで見せたそれとは全く違う笑顔だった。
水で弓矢を生成する。
直後、水の矢が飛んできた。
状況を理解するよりも先に体が動く。
左腕にピリッと痛みが走る。
手で押さえると、血がついていた。
「一体何なんですか!?」
雨筆さんは明確に、私を攻撃した。
「ちょっと邪魔者を消しちゃおうと思って」
「は?」
彼女が何を考えているのか、さっぱりわからなかった。
そんな私を置いてけぼりにして、彼女は言った。
「夜子ちゃん……死んでくれないかな?」
突きつけられた言葉に動揺する。
そこから感じるのは恐ろしいほど純粋な殺意。
「な、なんでそんなことする必要があるんですか」
「そりゃあもちろん、君のことが邪魔だからだよ。いや、君だけじゃない。HALFの人たちは皆邪魔だよ」
「もしかして、ライブが失敗したことの八つ当たりですか」
「まさか。そんなことするわけないでしょ。インサニティなんてどうしようもない災害だし、あれに対処しようっていう方が無理難題だよ」
「じゃあ、どうしてですか」
「夜子ちゃんは理解してくれなかったんだね」
雨筆さんは失望したように言うが、私には彼女の言うことが、まったくもって理解できなかった。
「……」
彼女は言い切った。
「僕の蛍くんを取らないでくれる?」
「え……」
何を言い出すかと思えば、雨筆さんはそんなことを言った。
「蛍くんは僕にとって、1番の友人であり、理解者であり、つまらないこんな世界を照らしてくれた、たった1つの光で……僕らは深い絆で繋がれているんだよ!」
雨筆さんは恍惚とした顔でそう言う。
「けどね……君たちは、僕らの関係を壊そうとしてる!それが許せない!」
彼女はそう言うと、水の塊をものすごい速さで投げつけてくる。
私はそれを必死に避ける。
「そんなこと、するわけないじゃないですか!」
「してるから言ってるんだよ!」
雨筆さんはそう叫ぶと、水の剣を生成して、こちらに振りかぶってきた。
彼女は完全に狂っている。そんなことで私の命を狙うのか。
「おまけに、インサニティ退治なんか、危ないに決まってるじゃん!なんでそんなことに蛍くんを巻き込むの!?なんでそれで平気でいるの!?なんで蛍くんの隣にいるの!?」
「私に聞かないでください!最終的に決めたのは蛍東さん自身です!」
咄嗟に両手で念力を放とうとしたが、それはできなかった。私には、雨筆さんを傷つけることはできない。
それでも、彼女は私を攻撃してくる。
彼女から感じられる殺気で、肌がピリピリとする。
「嘘だそんなの!」
彼女は水の剣をこちらに投げつけてきた。
私は念力で、それを押し返した。
それでも彼女は諦めることなく、水の塊を投げつける。
「じゃあ逆に聞くけど、糖蘭くんが他の人に取られたら、夜子ちゃんはどうするつもり?」
「何を言ってるんですか!?」
「そのままの意味だよ。糖蘭くんは別の人を選んで、夜子ちゃんはいらない子になるってことだよ」
「そんなの……」
言われて初めて気づいた。もしそんなことになれば、心中穏やかではいられないだろう、と。
糖蘭さんが私のことをどう思っていたとしても、他の誰かが糖蘭さんのことをどう思っていたとしても、私にとっては彼女が1番大切な人なのだ。
それでも、雨筆さんのように実力行使をしようなんて、思わない。私だけじゃない。誰だってそうだろう。
「気に入らないから暴力でどうにかするって、それって傲慢過ぎじゃないですか?」
「そうやって良い子ぶるんだ!」
「そんなこと……!」
否定しようにも、彼女に何を言っても無駄だった。
すると突然、雨筆さんは私が来た方向へと走り出した。
「どこ行くんですか!?」
「こっちに行けば、糖蘭くんたちがいるんでしょう?」
嫌な予感がした。
途端に、自分の心の中にどす黒い何かが入ってくるような、そんな感覚に襲われた。
気づけば、私は雨筆さんを全力で止めにかかっていた。
足に念力を込める。
アスファルトを削りながら、彼女との距離を縮める。
「おりゃあああ!!!」
そして、その背中に全力の蹴りを叩き込んだ。
「っあ――」
衝撃波で地面にクレーターができる。
雨筆さんは、声にならない声を上げながら吹き飛んだ。
そして、近くの建物にぶつかった。
コンクリートが砕けて、砂埃を上げる。
雨筆さんは、地面に倒れていた。
私は恐る恐る、彼女に近づく。
すると、彼女はムクリと起き上がって、こちらを見上げてきた。頭から、ダラダラと血を流している。
「綺麗事言うくせに、結局僕と同じなんだね」
「っ……」
雨筆さんの言葉が突き刺さり、ハッと我に帰った。
やってしまった。
私は目を逸らした。彼女のことを見ていられなかった。
「……私は、あなたのことを殺すつもりなんてありませんから」
ほとんど言い訳みたいなものだとは、自分でもわかっている。
雨筆さんは、ゆっくりと立ち上がる。
そして、言った。
「けど、僕はそうでもないよ」
彼女は、いくつもの水の矢を生成し、私めがけて飛ばしてきた。
「っ!?」
咄嗟に身をよじって避ける。
しかし、飛んできたうちの一本が、脇腹に刺さった。
熱くもあるし、冷たくもある、そんな感覚が私の体を突き抜けた。
「うっあ”ああああ!!」
激痛が走る。
私は膝から崩れ落ちて、うずくまった。
服が真っ赤に染まっていく。傷口を手で押さえるが、血は止まらない。
「全部夜子ちゃんが悪いんだからね」
雨筆さんは私を見下ろす。
「おい雨筆!」
「――っ!?」
突如現れた蛍東さんが、雨筆さんにタックルを仕掛ける。
「あっ!」
雨筆さんは訳も分からない様子で飛ばされた。
「蛍くん……?」
顔を青くしながら蛍東さんの名前を呼ぶ雨筆さんだったが、蛍東さんはそれを無視して私の方に近づく。
「大丈夫っすか!?」
「は……はい……」
「全然大丈夫に見えねえっすけど!?」
彼女はそう言いながら、止血をする。
「糖蘭さんたちに、連絡を……」
「わかったっす」
蛍東さんはガラケーを取り出す。
「嫌だよ、そんなの嫌だよ……!」
「雨筆さん……?」
急に、雨筆さんは頭を抱えて叫び出した。
「やっぱり夜子ちゃんは蛍くんを取るじゃん!やめてよっ!!」
その瞬間、彼女の目と髪のきれいな海色は、たちまちどす黒く変色していった。そして、真っ黒で禍々しいオーラに包まれていく。
突如、ガラケーのサイレン音とバイブが、まるで故障したかのように、不規則なリズムを刻んで鳴り響く。
「なんすか!?雨筆!どうしたんすか!?」
「これってもしかして……」
とてつもなく嫌な予感がした。そして、私の予感は見事的中した。
ガラケーが静かになった頃には、私たちの目の前に雨筆さんはいなくなっていた。
そして代わりに、インサニティ――いや、イレギュラーが遶九■縺ッ縺?縺九▲縺ヲ縺?◆縲よΦ螳壼、悶?繧ィ繝ゥ繝シ縺檎匱逕溘@縺セ縺励◆縲りァ」豎コ豕輔r謗「縺励※縺?∪縺吶?ゅす繧ケ繝?Β縺ク縺ョ繝?繝。繝シ繧ク繧定サス貂帙☆繧九◆繧√?∽ク?譎ら噪縺ォ蜃ヲ逅?r荳ュ譁ュ縺励∪縺吶?ゅ@縺ー繧峨¥縺雁セ?■縺上□縺輔>縲


