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第10話、アンコール

  • 執筆者の写真: もやし 朝稲
    もやし 朝稲
  • 12月15日
  • 読了時間: 26分

 蛍東さんは動揺しながら、私に質問を投げかけてくる。

「夜子……今、あたしらの目の前にいるのって……」

 その声は震えていた。

 私も、目の前の光景を信じたくはなかった。

「私の思い違いでなければ……イレギュラーです。……雨筆さんを取り込んだ、イレギュラー」

「あぁっ……」

 先ほどまで雨筆さんがいた場所には、全身真っ黒な怪人が立っていた。

 その背中からは、半透明で短い触手のようなものがうねうねと伸びており、通常のインサニティとは異なる様相をしている。

 目の前のイレギュラーは大きな目で、ギョロっとこちらを睨みつける。

 私は、脇腹の痛みに耐えながら立ち上がり、身構える。

 雨筆さんはイレギュラーになった。ならば私たちがすることはただ一つ。

「……イレギュラーを倒しますよ」

 心拍数が加速して、血の巡りが早くなるのを感じる。

 しかし、酸素が足りなくてふわふわとした感覚に襲われる。

「うっ……」

 バランスがうまく取れなくて、その場で崩れる。

 蛍東さんは私を支えながら咎めてくる。

「無茶するなっす……!そんな怪我してたら戦えねえっすよ!」

 私の脇腹は赤く染まっている。おまけに手も血みどろだ。

 視界の末端にノイズが入る。

「たしかに……ちょっと厳しいかもしれませんね」

 しかし、そんなことはお構いなしというように、イレギュラーはこちらに向かって水の塊を飛ばしてきた。

 それは、雨筆さんの異能と同じだった。

 私は咄嗟に念力を放ち、それに対抗する。

「ううっ……」

 互いの攻撃がぶつかり合う。私はなんとか押し切って、水の塊を消し飛ばした。

「はあ……はあ……」

 それでも、イレギュラーは次々と攻撃を飛ばして来る。

 もう一度念力を放とうとした時、蛍東さんは急に私を抱えた。

「な、なんですか!?」

 私が困惑していると、彼女は逃げ出した。

「こんな状態で戦っても、勝てねえっすよ!?」

 イレギュラーは追いかけてくる。

 おまけに、どんどんと水の刃も飛んでくる。

「クソッ!」

 蛍東さんは、天地無用のアクロバティックな動きをする。

 彼女の背中に回した腕が、図らずも強くなる。

 イレギュラーの腕がこちらに伸びてくる。

 掴まれたら終わりだ。

「っ!」

 突然、柚先社長の腕がちぎれる光景が、フラッシュバックする。

 ダメだ。こんなこと思い出したらダメなのに。

 焼きついた光景は頭から離れない。

「こっち来るんじゃねえっすよ!」

 視界がグルンと回ったかと思うと、蛍東さんがイレギュラーに回し蹴りを喰らわせた。

「ガアアアア!」

 イレギュラーはビルに突っ込み、ガシャンガシャンとガラスを割っていった。

 その隙にと言わんばかりに、蛍東さんはあっという間に狭い路地に入った。

 しばらく奥に進んだ後、私はその場にゆっくりと降ろされた。

「あ、ありがとうございます」

 私は壁にもたれかかって座る。

「礼を言う必要はねえっすよ」

 脇腹の傷を確認する。

 取り敢えず血は止まったようだ。

 蛍東さんはこちらを見下ろして聞いてくる。

「痛いっすか?」

「少しだけ。けど大丈夫です」

「しっかし、なんで雨筆がイレギュラーなんかになったんすか?」

「そんなのわかんないですよ」

「あたしが来る前、あんたと雨筆の間で何があったんすか?」

「それは……」

 私は答えに詰まった。

 雨筆さんが襲いかかってきたなんて言えない。

「ま、今はそれどころじゃねえっすか」

 蛍東さんは私に呆れて、これ以上追求するのをやめた。

「そ、そうですね」

 返事がぎこちなくなるが、内心安堵する。

 どのみち隠しておくのは良くないことだが、今はそうしてくれた方が、考えることが少なくなるのでありがたかった。

「とにかく、今はイレギュラーを倒すことを第一に考えるべきです」

 私はそう言い、これからどう動くかを考える。

 蛍東さんはイレギュラーと戦うのはこれ初めてだし、私は怪我のせいで自由には動けない。そんな2人でイレギュラーを倒すのはまず無理だ。

 蛍東さんの言う通り、ここは逃げるのが得策だろうか。

 ただ、逃げてばかりでは被害が拡大するだけなのも事実だ。

「……」

 蛍東さんの方も、何が考えを巡らせているようだ。

「どうしたんですか?」

「いや、あのイレギュラーって雨筆なんすよね……って」

 彼女はそう言った。

「抵抗、ありますか」

「いや、イレギュラーである限り、あたしたちが相手しないといけないのはわかってるっすよ。ただ――」

「……?」

「ただ、もしイレギュラーを倒せたとして、雨筆はどうなるのかなって思ったんすよ」

 態度にこそ出していないが、蛍東さんが不安を感じるのは無理もない。

「イレギュラー01に取り込まれていた人は、無事だったっていう噂は聞いたことがあります」

「そういえば!そんな話もあったっすね。……雨筆も、助けられるっすか?」

 雨筆さんがどうなるかは、私には断定できない。しかし、悪い方向に考えていては何も始まらない。

「もちろん、私たちなら」

 私はそう答えて頷いた。 

 その時だった。

「夜子上!」

 突然、蛍東さんに頭を掴まれて地面に倒されたかと思うと、頭上を巨大な水の刃が通り過ぎていった。

「っ!」

 そして、次の瞬間にビルは切断され、崩壊を始めた。

 巨大なコンクリートの塊が落ちて来る。

 狭い路地では、避けることもできない。

「掴まるっす!」

 またしても蛍東さんに抱えられたかと思うと、一瞬だけ視界にプラズマが走る。

 そして、次の瞬間には崩壊するビルから離れた場所にいた。

「す、すみません」

「ったく世話のかかるやつっすね」

 また彼女に助けられた。

 それにしても、イレギュラー02に劣らない破壊力だ。手強そうだが、やるしかない。

 私は蛍東さんの腕から降ろしてもらう。

 今度はちゃんと立てた。

 目の前には、イレギュラーがいる。

 私は蛍東さんに確認する。

「糖蘭さんに連絡はできたんですよね」

「何かしら、送れてはいるはずっす」

「きっとあの人たちなら、自体に気づいてくれると思うんですけど……」

「あの人らが来るまでは、結局あたしらだけでやるんすか」

「放置しておくよりは、よっぽどマシですから」

「それはそうっすね。ま、精々あたしの足引っ張るなっすよ」

 蛍東さんはそう言った。

「……まったく」

 彼女の人を見下すような態度が、なんとなく私の緊張を和らげている気がする。

 そうこうしている間に、イレギュラーは攻撃の準備を始めていた。

「来るっすよっ!」

「わかってます!」

 私がそう言った瞬間、イレギュラーが矢を一斉に飛ばしてきた。

「ええいっ」

 私はエネルギー弾を矢の集団に投げ込む。

 両者がぶつかると、爆発を起こして衝撃波が発生する。

 しかし、蛍東さんはそんなことはお構いなしというように、地面を蹴って前方に飛び出した。

 彼女は、残った矢と矢の隙間を縫うように潜り抜けると、一瞬でイレギュラーを間合いに入れ、殴りかかる。

「おりゃああっ!!」

「グッ……」

 イレギュラーはそれを受け止める。

 衝撃で地面のアスファルトにヒビが入る。

「蛍東さん後ろ!」

 彼女の後ろから、新たに生成された水の矢が迫っていた。

「どうにかしろっす!」

「もう!」

 私は念力を放ち、横から水の矢の撃墜を試みる。

 そして、蛍東さんとイレギュラーの間で、激しい肉弾戦が繰り広げられる。

 彼女はイレギュラー相手に善戦していた。

 私の動体視力では追いつけない速度で相手を撹乱しては、次々と拳やら蹴りやらを入れていく。

 蛍東さんは私が思っている以上に強い。雨筆さんのことがあるからかもしれないが。

 私がそうやって関心していたその時だった。

 イレギュラーは、ほんの一瞬の僅かな隙をついてきた。

「え――」

 水の塊が、蛍東さんにぶつかった。

「ああああっ!!」

 彼女は勢いよく飛ばされて、そのまま近くのトラックと衝突した。

「蛍東さん!」

「夜子!また来るっす!」

 私が蛍東さんの方に気を取られていると、また水の塊が飛んできた。

 私は念力を放ち、押し返す。

「っ……!」

 水の塊の勢いは激しく、じわじわとこちらに近づいてくる。

 しかし、ここで押し切られるわけにはいかない。

「うおりゃあぁ!」

 私は、なんとか水の塊の軌道を横に逸らした。

 明後日の方向に飛んでいった水の塊は、数メートル先の雑居ビルに着弾し、そのコンクリートの壁を破壊する。

 イレギュラーは間髪入れずに、水で剣のようなものを生成したかと思うと、それで切りかかってきた。

 近くに落ちている瓦礫を念力で持ち上げ、イレギュラーに向けて飛ばす。

 しかし、真っ二つに切られてしまう。

「まだ!」

 両手に念力を集中させて、迫ってくるイレギュラーの剣を掴んだ。

 その力の強さに驚いた。私では、耐えられない。

「夜子!」

 蛍東さんはそう叫んで、イレギュラーの横からドロップキックする。

「ガッ!?」

 一瞬バランスが崩れたその隙に、私はバックステップでイレギュラーの間合いから遠ざかる。

「助かります!」

 しかしイレギュラーは、持っていた水の剣を糖蘭さんに目掛けて投げた。

「――っ!」

 蛍東さんが顔を上げて気が付いた時には、完全に避けきるのは無理だった。

「あっ!」

 彼女は咄嗟に体をよじったが、右肩に水の剣が突き刺さった。

 真っ赤な血が、花が咲いたように飛び散って広がる。

 彼女は痛みで顔を歪めながら、その場に崩れ落ちる。

「蛍東さん!?」

 私は咄嗟に彼女の元へ駆け寄る。

 浅い息が聞こえる。

「はあ……はあ……このくらい、どうってことねえっすよ……」

「そんなことないでしょう!?」

 そうこうしている間にも、イレギュラーは攻撃を仕掛けて来た。

 どんどん飛んでくる水の矢を、私は念力を放って相殺していく。

 それでもキリがない。

「ったく何やってるんすか!」

 蛍東さんは手負いの状態にも関わらず、ミサイルのごとくイレギュラーに突っ込んで、殴り飛ばした。

 イレギュラーは受け身を取って着地するが、私は生成したエネルギー弾を、イレギュラーに向けて投げた。

 エネルギー弾はイレギュラーの目の前で爆発した。

 爆炎の中に、黒い体が飲み込まれる。

「ウガアアア!」

 しかし、イレギュラーがいた場所から大量の水が噴き出して、爆炎を掻き消していく。

 そして、飛び散った水飛沫の一粒一粒が鋭利な刃物になって、こちらに飛んできた。

 蛍東さんは叫ぶ。

「避けろっす!」

「――っ!」

 必死に走って避ける。

 避けきれない。

 顔に目掛けて、鋭い水の刃が飛んでくる。

 咄嗟に腕で顔をガードする。

 激痛が走る。

「やあああああ!!!!」

 冷たい水の刃が、腕の肉を無理矢理こじ開けて、中に入ってくる。

 裂けた肉の隙間から、溢れるように血が湧き出てくる。

「夜子っ!」

 目の前から蛍東さんの声がしたかと思うと、急に押し倒された。

「がっ」

 後頭部がアスファルトに叩きつけられて、鈍い痛みに襲われる。頭がくらくらする。

 蛍東さんは、私の上で四つん這いになっているようだった。

 まったく意味がわからなくて、咄嗟に彼女を跳ね除けようとしたが、手が動かなかった。

「っ!」

 そして、お腹に生暖かい液体のようなものが、ビシャビシャとかかるような感覚がした。

 それが何か、すぐにわかった。血だ。

 鉄臭い。

 蛍東さんの体の力が抜けて、その体重が私にのしかかる。

「あっ……」

 脇腹の傷が圧迫されて痛い。呼吸するのがつらい。

「……蛍東さん?」

 呼びかけてみるが、返事はない。

 ただ、私の耳元で、弱々しい呼吸音が聞こえているだけだ。

 気づけば私たちの周りには血溜まりができていた。

 私の血か蛍東さんの血か。いや、多分混ざっている。

 イレギュラーが近づいてくる。

 その姿を捉えようとするが、焦点が合わずに視界がぼやける。

 なんとなくわかるのは、水の剣を持っていることだけだった。

「ウガアアアアア!!」

 イレギュラーは目の前で咆哮した。

 それは、雨筆さんの泣き叫ぶ声のようにも思えた。

「……雨筆さん……苦しいんですね……」

 しかし、今の私では何もできない。

 イレギュラーは、水の剣を振りかぶった。

 私は目を閉じた。

 

「夜子ーっ!!」

 

 糖蘭さんの声がした。

 私は咄嗟に目を開けた。

 途端に、視界が明るく照らされた。

 そこには、バリアを展開する糖蘭さんの後ろ姿があった。

「夜子も蛍東も!絶対に死なせはしない!」

 青白い光を放つバリアは、イレギュラーの水の剣を受け止め、バリバリと音を立てる。

「糖蘭さん……」

 彼女は私を守ってくれる。

 またしても知っている声が聞こえてきた。

「前方注意!」

 すると、イレギュラーに大量のビームが降り注ぎ、イレギュラーを焼いていった。

 攻撃が止んだ。

「ごめんね!結構待たせちゃって」

 その声は、愛神先輩だった。

 空から降って来た彼女は地面に着地した。

 急に現れたその姿に、私は驚いた。まさか、このタイミングで愛神先輩が戻ってくるとは思わなかった。

 すると、柚先社長も現れた。

「いやあ、ごめんね。愛ちゃん、結構遠くまで行ってたものだから、呼んで来るのに時間かかっちゃった。2人とも大丈夫?」

「これが……大丈夫に見えますか……」

 彼女は、私たちの様子を一瞥してから言った。

「うーん……まあ、無理はしないでおこうか」

 柚先社長はそう言うと、私から蛍東さんを引っぺがした。

「イレギュラーは愛ちゃんと糖くんに任せて、夜ちゃんと蛍くんは一旦離脱するよ」

 柚先社長は私と蛍東さんを両脇に抱える。そして、糖蘭さんと愛神先輩に言った。

「2人とも、あとはよろしくね」

「もちろん!」

「頑張りますよ」

 2人の返事を聞いた柚先社長は、走り出した。

 私は、彼女たちのことが心配になった。2人だけでイレギュラーを相手にして大丈夫なのだろうか。

「愛ちゃんと糖くんなら心配する必要はないよ」

 突然柚先社長はそう言った。

 それは、まるで私の心を読んだかのようなセリフだった。

 心臓がドクンと跳ね上がる。

 ついに彼女は私の心まで読めるようになってしまったのか。

「社長……?」

「夜ちゃんが2人のこと心配してるなんてこと、考えなくてもわかるよ。夜ちゃん、愛ちゃんのことずっと心配してたし、糖くんは一番大事な人なんでしょ?」

 柚先社長は少年のような顔で、いたずらっぽく笑った。

「あなたには全部お見通しでしたね」

 すると背後から、爆発音が聞こえてきた。

「お、ついに始まったようだね」

 柚先社長はそう言いながら、近くのビルを駆け上がり、屋上に私たちを降ろした。

「俺は蛍くんの応急処置をするから、夜ちゃんは愛ちゃんの修行の成果を見ておきな」

「は、はい」

 私は、動かない自分の腕を見る。

 深い傷口から白い骨のようなものが見えているが、大丈夫だろうか。

 まあ、私は傷の治りが早い方だし、傷口が遺石化もしていないので、大丈夫だろう。

 私は屋上の端っこに移動して、下界を見下ろす。

 そこでは、愛神先輩とイレギュラーの激戦が繰り広げられていた。

 まず、イレギュラーが水の矢で弾幕を張る。

 しかし、愛神先輩は光の剣を生成したかと思うと、その一振りで全て薙ぎ払ってしまった。

 決して、異能の火力が上がったとか、そういうことではなかった。神秘崩壊しないように、調整された力だった。

 彼女の動きには無駄がない。

 その無駄のなさが、彼女をより強くしている。

 愛神先輩は、イレギュラーを一刀両断する勢いで、剣を振りかぶる。

「うおりゃあ!」

 イレギュラーはそれを避けつつ水の剣を生成し、反撃する。

 2つの力がぶつかり合い、閃光が走る。

 眩しくて、私は思わず目を細める。

「まだまだ!」

 愛神先輩はそう言ったかと思うと、光の剣からいくつもの光の球を生成し、その全てからビームを放った。

「いっけえええ!!!」

 束になって威力を増したビームは、イレギュラーに直撃する。

 大きな爆発が起こる。

 僅かだが、爆風がこちらまで届いた。

 しかし、イレギュラーはこれで倒せるほど弱くはなかった。

「ガアア!」

 イレギュラーは咆哮したかと思うと、愛神先輩に立ち向かってくる。

 愛神先輩は光の剣でイレギュラーに対抗する。それと同時に、またもや光の球を生成したかと思うと、今度はそれを、あちらこちらに動かして攪乱しながらビームを撃つ。

 四方八方から放たれるビーム避けながら、イレギュラーは愛神先輩を攻撃する。

 愛神先輩も隙を見せることなく、ひたすら攻撃を続ける。

 弾幕の中で、両者の激しい攻防が続く。

「私は!もうイレギュラーになんか負けてられねえんだよ!」

 愛神先輩はそう叫びながら、イレギュラーに大量のビームを降り注がせた。

 エネルギーが圧縮されて、爆発を起こす。

 眩しく光る。

「はあ……はあ……」

 愛神先輩は肩で息をしている。

「す、すごい……」

 私は彼女の底が見えない力を目の当たりにして、改めて彼女の強さを思い知った。

「ちょっと待って」

 突然、柚先社長がそう言った。

「どうかしましたか?」

 私は彼女の方を振り向く。

 彼女は真剣な面持ちで言う。

「……ちょっとまずいことになったかもしれない。おーい!愛ちゃん、糖くん!こっち来て!」

「え、なんで!」

 愛神先輩は訳がわからない様子で、こちらに聞き返す。

 私がふと顔を上げると、そこには異様な光景があった。

 空を覆い尽くしてしまいそうなほど大きい水の塊が、頭上に浮いていたのだ。そして、こちらに近づいてきていた。

 それは、もはや隕石だった。

「な、なんですかあれ!」

 愛神先輩と糖蘭さんもこの異常な事態に気が付いたらしく、こちらに登って来た。

「ちょっとやばくないこれ!?」

「こっちに近づいて来てるよね……」

 彼女たちは、上を見上げながらそう言う。

 水の隕石の内部では、水流がぐるぐると渦巻いている。

 もしあれに飲み込まれたらどうなるだろうか。

 死。

 そんな言葉が脳裏をよぎる。

 すると、愛神先輩が一歩前に出た。

 そして、両手を構えたかと思うと、水の隕石に向かって高火力のビームを放った。

「いっけえええええええ!!!!」

 ビームが水の隕石に着弾する。

 まさか、あの水の隕石を止めようというのか。

 しかし、彼女の力でさえ、びくともしない。

「無茶ですよ!」

「まだわかんねえだろ!」

 愛神先輩は怒鳴る。

「糖蘭!限界まで神秘をよこせ!!」

「けど……」

「早く!」

 糖蘭さんは一瞬迷いを見せたが、愛神先輩の気迫に気圧されたようだ。

「ああ、もう知らない!」

 糖蘭さんは愛神先輩の腕に触れる。

 すると、ビームの威力が上がった。

 しかし、水の隕石は止まらない。

 このままでは……水圧に押しつぶされる。

 そんな様子を見ていた柚先社長は、突然水の隕石を指差しながら言った。

「俺が直接殴ってぶっ壊すよ」

「何言ってるんですか?そんなことしたら――」

「じゃあどうする?このままみんなで死ぬ?多分、あれが落ちたらイレギュラー事件より犠牲者が多くなると思うけど」

 柚先社長は腕から結晶を生やす。

 まさか。そんなことは絶対にあってはいけない。

 しかし、あの水の隕石に突っ込めば、柚先社長と言えども命はない。

 ここでどうにかしなければ。

 私は覚悟を決めて、愛神先輩の横に出た。

「私がどうにかします」

「夜子!?」

 糖蘭さんの驚く声が聞こえる。

「夜子ちゃん何するつもり!?下がってな!」

 愛神先輩も叫ぶ。

 私は2人の声を右から左に流し、迫る水の隕石を睨んだ。

 その時だった。足元から紫色の光が溢れ出して来たかと思うと、全身に力が沸いて来た。

 右足の黒い模様が、全身に広がる。

 先ほどまで動かせなかった両腕が、気づけば動かせるようになっていた。

 今ならできる。そう確信した。

 糖蘭さんたちは、呆然としながら私を見守っている。

 水の隕石は、猛スピードでこちらに落ちてくる。

 私は、前に突き出した右手に念力を集める。

 高密度のエネルギーが一点に集中し、周りの空気が揺らぐ。

 臨界点に達した時、ビームを放った。

「いけっ!」

 エネルギーが爆発する。

 その余波で足元にヒビが入る。

 巻き起こる風が、私の髪をなびかせる。

 ビームはまっすぐ軌跡を描き、そのまま水の隕石を貫通した。

 水の隕石は真っ二つになる。

 頭上には、海を割ったかのような光景が広がっていた。

 急に、世界の時間がゆっくりになるような感覚を覚えた。

 水の隕石はスローモーションでバラバラに崩壊して、滝のような雨となって降り注ぎ出した。

 降ってくる大量の水は轟音を鳴らす。

 気がつけば、私たちはずぶ濡れになり、街はどんどん水没していく。

「す、すごいや……」

 愛神先輩は雨に打たれながら目を丸くしている。

「またラストリゾートモードになれたようだね。できるって信じていたよ」

 愛神先輩と柚先社長はそう言った。

 2人に褒められて、嬉しいやら恥ずかしいやらで、顔が熱くなる。

「ありがとね、夜子」

 糖蘭さんは優しく目を細めて、そう言った。

 しかし息をつく間もなく、イレギュラーが屋上まで登ってきた。

「ウガアアアアア!!」

 大きな口を開けて咆哮する。

「クソがっ!まだ生きてたのかよ!」

 愛神先輩は悪態を吐きながら、向こうが動く前に先手を打った。

 彼女がビームを撃つと、軌道上の雨粒を蒸発させながら、イレギュラーの脇腹を貫通した。

「アアアアアア!!」

 イレギュラーはその場に崩れ落ちる。

 愛神先輩は光の剣を手に持ち、イレギュラーに近づく。

 彼女の目の中で瞬く星は、殺意に満ちていた。

「これで終わりにしてやんよ」

 その時だった。

 

 「……を、殺さ……で……」

 

 頭の中に、少女の声が響いた。

 イレギュラー02と戦った時に出会った、あの少女の声だ。

「待ってください!」

 私は思わず、愛神先輩を制止した。

「何?」

 愛神先輩は不満そうにしながらこちらを振り向く。

「ええと……なんとなく、このまま倒してしまうのはよくない気がして……」

「は?インサニティは一匹残らず殺すもんだろ」

 柚先社長も真面目な面持ちでこちらにくぎを刺す。

「愛ちゃんの言う通りだよ。悪いけど、イレギュラーの中に雨くんがいるからといって、かける慈悲なんてものはないよ」

「いや、そういうことではなくて……」

 どう言えばいいのだろうか。私にはわからなかった。

 ただ、蛍東さんが感じていたであろう不安のようなものが湧き上がってきた。

 ふと、蛍東さんの様子を伺う。

 彼女はぐったりとしていて動かない。

 その時、糖蘭さんは私に聞いた。

「夜子は何をするつもりなの?」

 私は答えた。

「雨筆さんを助けます」

 糖蘭さんは少し考えてから、言った。

「……そっか。僕は君を信じるよ」

「糖蘭さん……」

「愛神も柚先先輩も、ここは夜子に任せてみようよ」

「けど……!」

「2人とも、インサニティを前にしたら、そうやって倒すことしか考えなくなるの、あんまりいい癖じゃないと思うな」

 糖蘭さんにしては珍しく、少し強い声だった。

 それを受けて柚先社長は、フッと微笑んだ。

「……そうだね。愛ちゃん、ここは一旦下がってようか」

「ええ……。柚先社長も言うなら……しょうがない」

「皆さんありがとうございます」

 私は彼女たちにそう言って、イレギュラーに近づいた。

 もうほとんど体力が残っていないようで、私が目の前に来ても、少しも動かない。

 大丈夫。私ならやれる。

 私はイレギュラーの頭に手を触れた。


 *

 

 その瞬間、真っ白な空間に立っていた。

 イレギュラー02の時と同じだが、唯一違うことがあるとすれば、この空間の中にポツンとドアがあることだった。

 無機質な金属製のドア。

 どこに繋がっているのかはわからないが、私はそのドアノブを握った。

 ドアを潜り抜けると、意識が持っていかれるような感覚に襲われた。

 そして、脳内にビジョンが流れ込んできた。


 

 およそ3年前、僕たちは出会った。

 それは、僕がレユアンに来てまだ間もない頃のことだった。

 僕は何気なく、ゲーセンに立ち寄った。何も、目当てのゲームがあるわけでもないし、本当にただの気まぐれだった。

 クレーンゲームのキラキラと光を放つ筐体の間を歩く。ショーケースの中に入った景品は、どれも輝いて見えた。

 しばらく眺めて周っていると、1人の女の子がクレーンゲームで遊んでいるのを見かけた。

 僕と同じくらいの歳だろうか。

 空色のウルフカットが目を引く、どことなくボーイッシュな子だった。

 しかし、そんなことよりも僕の目を奪ったのは、彼女のアーム捌きだった。

 ショーケースの中の景品を掴んだかと思うと、一発で取った。

 それだけじゃない。すでに彼女の手元には、大量のぬいぐるみやらがあった。

 只者じゃないということは、すぐにわかった。

「……なんか用すか?」

 女の子は僕に気づいて振り向いた。

 その目は、鋭くこちらを捉えている。

「あ、えっと……」

 どうしよう。絶対怒っている。

「そ、その、上手だなー……って、思って……」

 僕はしどろもどろしながら、言い訳をする。そして、彼女の反応を伺った。

「あたしを舐めてもらっちゃあ困るっすよ」

 女の子は、不敵な笑みを浮かべながら言った。

 そして続けざまにコインを投入したかと思うと、またしても一発で取った。

 クレーンゲームが上手い体質……なんてことはないだろう。とにかく僕は、彼女のそれに感銘を受けた。

 すると急に、彼女は手元の景品をリュックに詰めたかと思うと、言った。

「逃げるっすよ」

 そして僕の手を取ったかと思うと、走り出した。

「え、えぇ?」

 困惑しながら後に続く。そのまま店外に出る。

 彼女は言う。

「乱獲してるのバレたら出禁になるっしょ?」

「それはそうかもだけど……」

 それにしても、彼女はかなり足が速かった。ついて行くのでやっとだった。

 少し走って、店が見えなくなったあたりで僕たちは足を止めた。

「はあ、はあ……びっくりしたよ……」

「ごめんごめんっす」

 彼女は軽く謝る。

 そして急に、僕の肩を掴んだかと思うと、顔を近づけてきた。

「っ!?」

 びっくりして体が硬直する。

 彼女は僕の耳元で囁いた。

「あんた、異能者っしょ?」

「え……」

 頭が白くなる。

「だって、あんなに早く走れるのは、そういうことっしょ?けど安心しな。あたしも異能者っすから」

「君も……?」

 唐突な出会い。

 彼女は僕から離れて言う。

「こんな偶然、あるもんなんすね」

「そうだね。……運命みたい」

「なんすかそれ」

「あのさ、君の名前、教えてくれない?」

「あたしは蛍東っす。あんたは?」

「僕は雨筆。その……僕たち、また会えるかな……?」

「会えるっすよ」

 蛍東はそう言うと、ニカっと笑った。

 そんな彼女に、僕の心は奪われた。こんな感情は初めてだった。


 

「その瞬間、世界が変わった気がした。なんだろうね。理由なんてよくわかんないけど、一目惚れっていうやつなのかな」

 気がつけば、私はステージの前に立っていた。

 ステージには、ポットライトに照らされる雨筆さんがいた。

 彼女は、昔を懐かしむような、そんな表情で話し続けた。

「蛍くんは初めての友達になってくれた。こんな僕のことを、いつも肯定してくれる。それがとっても嬉しかった。アイドルだって、あの子が僕の歌を褒めてくれたから始めたんだよ?蛍くんといると、とっても楽しくて、ずっと一緒にいたいって思って、どこにも行って欲しくなくって……。いつの間にか、僕には蛍くんしかいらなくなっちゃったんだ」

 彼女はどこか、寂しげな顔をしている。

「……それでも、蛍くんは違う。僕と違って、いろんな物に興味を持って、いろんなことができて、いろんな人と関わって……時々僕をほっぽり出して何かに熱中したと思えば、すぐに冷めて別のことをしてる。だから、いつか僕も飽きられるんじゃないかって考えたら、怖くてたまらなくなった」

「その結果があれですか」

 私はそう言った。なぜか冷静でいられた。

「仕方ないよ。僕にとって、蛍くんは世界の全てになっちゃったんだ。だから、僕から蛍くんを奪おうとした君たちのことが許せないんだ」

「あなたは本当に何も見えてないんですね」

「……見えないっていうか、見たくないのかもね」

「最低ですね。そう言って、他人の命すら奪おうとするんですから」

「怒ってる?」

「怒ってるっていうか、呆れてます。……けど、あなたの気持ちも全くわからないことはないですよ」

「……やっぱり夜子ちゃんは糖蘭くんのこと、好きなんだね」

 雨筆さんはそう言うと、微笑んだ。

 私は答えに詰まる。

「それは……まだちょっとよくわかりません。ただ、糖蘭さんと出会って、初めて自分の居場所ができたんです」

「居場所?」

「今までいろんな人に否定されてきた私のことを、あの人は受け入れてくれました。私が異能者でも、あの人は私を肯定してくれました。そして……私のことを好きだって言ってくれました」

「……」

「けど、糖蘭さんは誰にだって優しいんです。私が特別だからだとか、そんなんじゃないんです。……ちょっと寂しいですよね。こういうのって」

「……夜子ちゃんと僕って、意外と似てるところあるのかもね」

 雨筆さんはそう言った。

 たしかにそうかもしれない。けど――

「けど私には、糖蘭さん以外にも大切な人がいます」

「大切な人って?」

「柚先社長も、愛神先輩も、酒夜さんも、もちろん蛍東さんだって、私のことを受け入れてくれた大切な人なんです」

 雨筆さんは驚いたような顔をしている。

「糖蘭くん以外にも大切な人がいるんだ……」

「そりゃあそうですよ。自分のこと受け入れてくれるだけで大切だと思えてしまうんです」

「なんかちょろいね」

「けど、1人の人間に固執するよりはマシじゃないですか?」

「それってつまり、どういうこと?」

 雨筆さんは怪訝そうに聞く。

 私は言う。

「蛍東さんだけに囚われるのは、もうやめにしませんか?」

「けど……」

「大切な人が他にいたっていいじゃないですか」

「けど、急にそんなこと言われても困るよ」

「じゃあ、私と友達になってください」

「……え?」

 雨筆さんは目を丸くした。

 自分でも、こんなことを言うのは変だと思ったが、それでも今の私にできることをしているつもりだ。

「他の景色を見てくださいよ。ずっと1つの場所に閉じこもっているなんて、もったいないです」

「……こんな僕でもいいの?君を殺そうとしたのに?」

「イレギュラーになって暴れられるよりはよっぽどマシです。……それに私だってあの時、一瞬でもあなたに殺意を抱いてしまいました。おあいこ――なんて言葉で済ませられるかはわからないですけど……」

「夜子ちゃん……」

 私は雨筆さんの両手を包むように握った。

 その時、紫色の淡い光が空間を満たしていった。

 粒子のようなものが宙を舞って、キラキラと輝く。綺麗だ。

 雨筆さんは言った。

「そうだね。居場所は1つだけじゃないよね」

 そう言うと、彼女は笑った。純粋な笑顔だった。

 光は、彼女にまとわりついた狂気を、ゆっくりと溶かしていく。

「雨、もうすぐ止むよ」

 雨筆さんはそう言った。

 そして、彼女は光と共に消えた。

 気がつけば、私は1人で白い空間に立っていた。

 見渡してみても、雨筆さんはどこにもいなかった。

 その直後だった。

 どこからともなく、天使の羽と悪魔の角を生やした少女が現れた。

 イレギュラー02と戦った時に出会った、あの少女だった。

「っ――」

 私は一歩後退りした。

 正直、彼女には良い思い出がない。

 しかし、よく見てみると今日の彼女は、ただその場に突っ立っているだけだった。その顔は少し悲しそうというか、寂しそうだった。

 私は恐る恐る彼女に話しかけてみる。

「どうしてこんなところにいるんですか?」

 少女は何も言わない。ただ、瑠璃色の瞳でこちらを見ているだけだった。

 私は彼女の名前すら知らない。

 私は手を伸ばした。もしかしたら、この手を取ってくれるかもしれないと期待した。

 しかし、それは無駄に終わった。

 霧のようなものが辺りに充満して、視界を遮った。

 少女の姿は、もう見えなくなっていた。


 *

 

 目を覚ますと、眼前には青い空が広がっていた。

 澄んだ空が綺麗で眩しくて、思わず目を細める。

 ここはどこなのだろうか。

 私は、水面に浮いていることに気がついた。

 耳元から、サラサラとした水音が聞こえる。

 水没した街並みが見える。

 私は流れに身を任せた。泳ぐ気力なんてなかった。

 しばらくすると、馴染みのある声が聞こえてきた。

「夜子!」

 糖蘭さんだった。

 彼女は、水を掻き分ける音と共に、こちらび近づいてきた。

「探したよ……!」

 私は口を開いた。

「……雨筆さんは、どうなりましたか?」

「大丈夫。ちゃんと助けられたよ」

「よかった……」

 私は安心した。

 糖蘭さんは私を抱きしめた。

「もう無茶しないでよね。急に意識がなくなったと思ったら、イレギュラーと一緒に屋上から落っこちちゃったんだから……」

 だから私はこうして漂流していたのか。

 冷え切った体に触れる彼女の肌は温かい。

 しかしながら、今なら雨筆さんの気持ちもわかる気がする。

 1番大事な人には、私のことを見ていてほしい。ずっと一緒にいてほしい。もし私たちの仲を邪魔をする人がいればその時は――

「夜子?大丈夫?」

「え、あ、はい」

 糖蘭さんの声で我に返った。

 もし邪魔をする人がいれば……?

 私は一体何を考えていたのだろうか。

 一瞬思考にノイズがかかった気がした。

 自分でも訳がわからなかった。

 糖蘭さんは私の耳元で言う。

「帰ろっか」

「はい」

 私のそばには糖蘭さんがいる。それでいいじゃないか。

「糖蘭さん」

「どうしたの?」

「……呼んでみただけです」

「そう」

 彼女は優しい笑みをこちらに向ける。

 その顔を見るだけで、私は幸せだ。

 
 
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