第11話、知らぬが仏
- もやし 朝稲
- 6 日前
- 読了時間: 22分
空を眺めていた。
雲一つない青が、頭上の全てを覆っている。
こんなに綺麗な空を見たのはいつぶりだろう。
私の隣では、糖蘭さんも上を見上げている。
「綺麗だね」
「はい」
私は彼女に返事をし、目を細めた。
その時だった。
空に亀裂が走った。
「……?」
亀裂はどんどん広がり、やがて青色は剥がれ落ちる。
やがて、真っ赤な空がむき出しになった。
その禍々しい赤を背景にして、何かが空中に浮かんでいた。
私の視線は、それに釘付けになった。
シルエットは人だ。しかし、頭上には光輪が浮かんでいる。
とても人間とは思えなかった。何か、超常的な存在のようにすら感じる。
糖蘭さんが隣にいるという安心感は、一瞬で消え去った。
気持ちの悪い汗が湧いてくる。
「やっと会えたな。HALF諸君」
宙に浮かぶ何かは、そう言った。
そして、こちらに急接近してきた。
脳内で警鐘がけたたましく鳴り響く。
立ち向かってどうこうできる相手ではない。
しかし体は動かない。
「来ないで!」
何かは容赦なく、目前に迫った。
*
目が覚める。
また嫌な夢を見てしまった。
今回は、得体の知れない何かが話しかけてきたので、余計に後味が悪い。
しかし、そんな心地の悪さを忘れてしまうような光景が、目の前にはあった。
「え……」
私の隣には、すぴすぴと寝息を立てている糖蘭さんがいた。
脳が理解を拒むほど距離が近い。
心臓が跳ね上がる。同時に体も跳ね上がり、咄嗟に天井に張り付いた。
部屋を上から見下ろして、状況を整理する。
どうやら私は、糖蘭さんのベッドで寝ていたようだ。
朝日が窓から入ってきて、部屋を明るくしているが、豆球は付きっぱなしだ。
そして気づいた。私が羽織っている黒い上着は、糖蘭さんがいつも着ているやつだった。
困惑。
必死に寝る前の記憶を辿る。
しかし出てくるのは、イレギュラーとの戦いの後、彼女に抱えられて家に帰ったということくらいだった。
「なんでこうなった……」
もう、わけがわからなかった。
その時だった。
「ん……」
糖蘭さんの目が開いた。
綺麗な金色の瞳がこちらを捉える。
気づかれた。
「おはよう」
「お、おはようございます……」
思わず声が裏返った。
「なんでそんなところにいるの?落ちたら危ないよ?降りておいで」
彼女は私を見上げながらベッドから出て、そう言った。そして、特に驚きも困惑もしないで、私の方に手を伸ばす。
このまま天井に張り付いていても仕方がないので、私は自由落下した。
糖蘭さんの体は心配するほど華奢だが、余裕そうに私を受け止める。
結果的に、彼女に抱き着くような形になってしまった。
「す、すみません……その、ついびっくりしちゃって……」
「いいよ。こっちもびっくりさせちゃってごめん」
「大丈夫です。……とりあえず、服を着ていただければ……」
私は、糖蘭さんから目を逸らした。
「あ、そう言えば着てなかったや」
彼女は思い出したようにそう言うと、そこら辺に置いてあったロング丈のTシャツを着た。
下は何も履いていないが、全裸よりはマシだ。
糖蘭さんは私に聞いてくる。
「体調はどう?」
「平気です。普段通り」
「よかった。夜子、昨日は丸一日起きなかったから、心配したんだよ?」
「そう……ですか」
ということは、私は丸一日、糖蘭さんのベッドを占領していたということか。申し訳ない。
しかし、前回イレギュラー02相手にラストリゾートモードを使った時に比べると、短かったようだ。
あの時は3日間起きなかった。
それでもどうやら、ラストリゾートモードを使うと、長時間寝てしまうらしい。
「けど、その傷もちゃんと治りそうでよかったよ」
脇腹を抑える。
痛みはもうない。腕の方も何も感じない。
「……1つ聞いてもいいですか」
「何?」
「なんで私、糖蘭さんの上着着てるんですか」
彼女は、少し間を置いてから声を出す。
「あー……ダメだった?」
「いや、ダメっていうわけではないですけど……」
実際のところ、私が寝る時に着ている白いパーカーは、最初ここに来た時に糖蘭さんから借りたものだ。
彼女の服を着ることについて何か言うのに、今更感はある。
それでも、もっと他にあっただろうと言いたい。
それにこの上着、彼女が着ていても大きいので、私が着ると、服の中に入ると言ったほうがいいかもしれない状態になる。
とりあえず着替えようかと思っていると、ピンポーンと、来客の知らせが来た。
「ちょっと出てくるね」
糖蘭さんはそう言うと、部屋を出て玄関に向かう。
そんな恰好で出ても大丈夫かと心配しながら、私は彼女について行く。
すると、玄関に辿り着かないうちに鍵が開き、玄関が開く音が聞こえる。
「起きてるー?」
聞きなれた声と共に、足音が近づいて来る。
そして、リビングの扉を開けて現れたのは、愛神先輩だった。
今日の彼女は、長い夕焼け色の赤髪を2つのシニヨンにまとめている。
そして、何やらビニール袋を持っていた。
愛神先輩がやってきた瞬間、糖蘭さんの顔が緩んだ。
「愛神!会いたかったよー!」
糖蘭さんは満面の笑みでそう言いながら、愛神先輩に駆け寄って抱きついた。
「は……?」
愛神先輩は、固まった。
無理もない。急に抱きつかれたら誰だってそうなる。
糖蘭さんは、そんな愛神先輩の様子も気にしないで、彼女を抱きしめている。
愛神先輩は大きなため息をついた。
「はー……。糖蘭、ちょっとツラ貸しな」
糖蘭さんは、きょとんとした顔で愛神先輩の顔を覗く。
「……?どうし――ごはっ!」
いきなり、愛神先輩は糖蘭さんの顔面にストレートを決め込んだ。
一応、そこまで力は入っていないようだったが、割と大きい音が鳴る。
「えっ何急に!?」
糖蘭さんは、殴られた頬を押さえながら驚く。
「何じゃねえだろうがよ!いきなり抱きつくな!」
愛神先輩はそう怒りながらも、若干顔を赤くしている。
「ほんとにあんたってやつは……何考えてんだか」
「愛神が僕らに会いに来てくれたのが嬉しくて……」
「だからって、急に抱きつくのはやめてくれる?」
「ごめん、次からは確認してからにするね」
「昔もこんなやりとりしてたような……」
愛神先輩は、呆れて溜め息をついた。
私は彼女に話しかける。
「けど、私も嬉しいですよ?愛神先輩とは話したいことが色々ありますし」
「あはは……そうだよね……。前会った時は、ちゃんと話せる余裕もなかったし」
彼女は、若干気まずそうにしながら手に持っていたビニール袋をテーブルに置く。
そして謝罪した。
「まずはごめん。あんたらには結構心配かけちゃったね」
彼女は、イレギュラー02との戦いで死にかけたにも関わらず、行方をくらました。
結果として、この間の雨筆さんの件では、より強くなった愛神先輩に助けられることになったが。
糖蘭さんは、優しく、しかしどこか強く聞く。
「どうして1人で修行なんてしに行ったの?」
「それは……もっと強くなりたかったから。それだけだよ」
愛神先輩は、淡々と答えた。
いかにも彼女らしい、単純な答えだった。
「だからって、危ないことしすぎですよ。先輩はすでに強いじゃないですか」
「けど、イレギュラー02には勝てなかった。私はあいつを倒すために最強を目指してるのに、それができなきゃ意味がないじゃん?」
糖蘭さんは、少し不満そうに言う。
「最強を目指すのはいいけど、無理はしないでほしいな」
「……うん」
「修行する時は私たちと一緒にしましょう?そっちの方がいいです」
「夜子ちゃん……そうだね。そうする」
愛神先輩は頷いた。
「あと、1つだけ約束してほしいんだけど」
糖蘭さんが言い出す。
「何?」
「もう勝手にどこかに行かないでほしいな。愛神がいないと寂しいから」
「はあ……あんたら、どんだけ私のこと好きなのさ」
愛神先輩は呆れつつも、嬉しそうな顔をしている。
「出会った時からずっと好きだよ」
「私の大切な先輩ですから」
「わかったわかった!もうどっか行ったりしない。あんたらの気が済むまで、一緒にいてあげるから!」
彼女はそう言うと、私たちの頭を撫で回した。
まるで子ども扱いされているみたいで、少し頬を膨らませたくなる。
愛神先輩は満足すると、照れ隠しのように話題を変えた。
「それよりあんたら、朝ご飯はまだだよね?」
糖蘭さんは、唐突な話題転換に気づいているのかいないのか、普通に答える。
「これから食べるつもり」
「じゃあ、おかずいろいろ持ってきたから食べな」
愛神先輩はそう言うと、ビニール袋からいくつかのタッパーを取り出し、テーブルに並べる。
「いいんですか?」
「久しぶりに家に帰ってきたら、調子乗って作りすぎちゃって」
「愛神は朝ご飯食べたの?」
「当たり前でしょ。もう9時だし、とっくの前に食べちゃったよ。2人で食べな」
「じゃあ、そうさせてもらうよ」
早速準備をする。
糖蘭さんが昨日の夜にセットしておいてくれてたらしく、炊飯器には炊き立ての白ご飯があった。
茶碗にご飯をよそう。
皿を出して、おかずを取り分ける。
「「いただきます」」
愛神先輩が持ってくれたおかずには、きんぴらごぼう、蔓紫のおひたし、タコの南蛮漬け、白菜の浅漬けもある。
彼女は、私たちが食べるのをニコニコしながら眺めてくる。
「どう?おいしい?」
「とってもおいしいです」
「よかったよかった」
愛神先輩の料理のレパートリーは、ばあちゃんみたいな雰囲気がする。
残念ながら、私にはばあちゃんの記憶がほとんどないので、この感覚が正しいかどうかはわからない。
しかし、なんとなくそんな気がしながら、私はおかずと白ご飯を頬張る。
「愛神のご飯食べるの、結構久しぶりな気がするよ」
糖蘭さんは嬉しそうにそう言う。
「まあ、食べさす機会もあんまりなかったしね」
「HALF入る前はしょっちゅう作って来てくれたのが懐かしいや」
「それは、あんたがカスみたいな食生活してたからでしょうが」
そんな2人のやりとりを聞いた私は、ふと気になって、疑問を投げかける。
「そういえば、お2人ってどうやって出会ったんですか?愛神先輩のために糖蘭さんがHALFに来たっていうことは知っているんですが……」
愛神先輩は答える。
「道の曲がり角でぶつかったのが始まり」
「いや、真面目に答えてくださいよ」
「本当だって。歩いてたら糖蘭が飛び出してきてさ。ね?糖蘭」
愛神先輩は、糖蘭さんの方にバトンを渡す。
「うん。たしかそうだった。あの時の愛神、めっちゃ怒ってたの覚えてるよ」
「余計なことは言わないでよろしい。……ま、そういうこと。嘘みたいだけど、本当のことだからね?」
「そんなことってあるんですね……」
にわかに信じがたいが、2人がそう言うなら嘘ではないだろう。
愛神先輩は、懐かしむように言い出す。
「糖蘭って、出会った時のことを考えると結構変わったよね」
「そう?あんまり自覚ないんだけど」
「あの時のあんたって、強引、ノンデリ、不摂生。悪意のないカスだったじゃん」
「え、待って、酷くない?」
愛神先輩からの言われように、さすがの糖蘭さんも抗議する。
「まあ、今はそんなことないと思うけどね。もし昔のままのカスだったら、夜子ちゃんが可哀そうだもん」
「先輩は容赦ないですね……」
愛神先輩のなかなかの言いように、私は苦笑いした。
こんな話をしているうちに、おかずを食べきってしまった。
「ごちそうさまでした」
「めっちゃおいしかったよ。ありがとうね、愛神」
「どういたしまして」
愛神先輩は、空になったタッパーをビニール袋に仕舞う。
「愛神先輩って、料理上手なんですね」
「まあ、美味しいもの食べられた方が、人生楽しいからね。それに、こうやって大切な人に食べてもらうのって、嬉しいじゃん?」
彼女はそう言うと、幸せそうな笑顔を見せた。
「……たしかに、そうですね」
私も、その気持ちはわかる。
料理が上手いとは言えないが、糖蘭さんがおいしそうに食べてくれるのは、とても嬉しい。
しかし、私はふと疑問に思った。
――愛神先輩の大切な人に、私は含まれているのだろうか。
愛神先輩と糖蘭さんは、ずっと前からHALFのメンバーで、2人の間には私の知らない時間が流れている。
今日も、私の知らない2人のことを色々知った。
何もおかしいことではない。
しかし、2人が一緒にいると、私だけ距離が離れてしまうような、そんな錯覚に陥ってしまう。
本人たちに他意がないせいで、逆に嫌な疎外感が顔を覗かせてくる。
そんな私を他所に、糖蘭さんは呟いた。
「やっぱ、僕も料理できるようになった方がいいかなぁ」
「急にどうした?」
愛神先輩が、びっくりしたように聞き返した。
「いや、なんか、夜子にばっかり作ってもらってて、悪いなって思ったから」
糖蘭さんは、そう言って私の方を一瞥する。
「別にそうは思いませんけど……っていうか、料理まで糖蘭さんがやるってなったら、いよいよ私はタダ飯喰らいじゃないですか!」
「そんなことないと思うよ?夜子、他にもいろいろやってくれてるじゃん」
「それはまあ、衣食住提供してもらって何もしないわけにはいきませんから……」
「僕の方から頼んで一緒にいてくれるんだから、そんなこと気にしなくてもいいのに」
「気にしますよ!」
私は必死に抗議した。
「そういやあんたらって、喧嘩したことないの?なんか見た感じ、割と上手くやってるっぽいけど」
愛神先輩は、そんなことを聞いてきた。
「喧嘩……したことないね」
「そうですね」
そもそも、糖蘭さんが怒っているところなんて見たことがないし、喧嘩になりそうになったこともほとんどない。
想像もしたことがなかった。
そんな私たちを前に、愛神先輩は言った。
「あんたら、運が良いね」
その声には、からかいつつも、どこか優しさがあった。
*
リノリウムの廊下を歩く足が重い。
病院独特の消毒液の匂いが、病棟の廊下全体に充満している。
糖蘭さんから教えてもらった病院。
ここに、雨筆さんはいるらしい。
私は、病室のドアを開けた。
そこまで広くない個室は、窓から光が射して明るい。
部屋の真ん中に鎮座するベッドには、雨筆さんが座っていた。
「久しぶりだね、夜子ちゃん」
そう言った彼女は、どこか儚げな雰囲気で、触ったら壊れてしまいそうだった。
彼女の海色の瞳と、私の視線が交わる。
私は、彼女にどんな言葉をかけるか迷った。
そして、出てきたのは当たり障りのないものだった。
「……体調はどうですか」
「順調に回復してるよ。もう直に退院できそうだって」
彼女は嬉しそうだった。
「それは……よかったです」
「夜子ちゃんの方は、大丈夫?」
「ええ。私、怪我はすぐに治っちゃうので」
「そう……」
雨筆さんは、私の体に視線をやった後、目を伏せた。
「……本当にごめん。僕がわけわかんないことしちゃったせいで……君を傷つけちゃった」
「こちらこそ、ついカッとなっちゃって――」
「夜子ちゃんは悪くないよ。全部正当防衛だから」
雨筆さんは被せるように、そう言った。
「けど私のせいですよ。私が……」
私は、彼女の頭に巻かれた包帯を見る。
この包帯の中の傷は、間違いなく私がつけたものだ。
雨筆さんを蹴り飛ばしてしまった。
それが、私が彼女を傷つけたという事実は変わらない。
しかし、彼女は言った。
「そうやって、なんでも自分が悪いって思うの、良くないんじゃない?」
「それは……」
何も言い返せなかった。
自分にそういう癖があることを、多少は理解している。
「今回は完全に僕が悪いよ。ごめんでなんて済ませられないくらいのことを、僕はしちゃったから」
雨筆さんはイレギュラーになって、私と蛍東さんと戦った。そして、周囲を水没させるまでに至った。
たしかに、やったことは彼女の方が悪質かもしれない。
「雨筆さんも雨筆さんですよ。イレギュラーなることなんて、どうしようもない災害なんですから。誰かを責めたって、仕方ないです」
「……夜子ちゃんは優しいんだね。僕のこと嫌いにならないの?」
「なりませんよ。だって、私たち……友達でしょう?」
雨筆さんは、ハッとしたように目を大きくした。
「友達……。あの時のこと、覚えていてくれてたんだ」
彼女の精神世界で言った、私の言葉。
――じゃあ、私と友達になってください
あまりにもシンプルで、ド直球だ。
私は雨筆さんの言葉に頷く。
「もちろんです。私から言ったことですし、忘れるわけにはいかないので」
「てっきり夢の中の話だと思ってた。……けど、とっても嬉しいよ?君にそう言ってもらってから、今まで感じてた嫌な気持ちが、全部どっか行っちゃったみたいでさ」
「じゃあ改めて、私たち友達ですね」
「うん!これからよろしくね、夜子ちゃん」
彼女はそう言うと、目を細めた。
その笑顔は眩しくて、あまりにも綺麗すぎた。
「お、夜子来てたんすか」
急に後ろから声がしたので、振り返る。
「蛍東さん!?」
「何そんな驚いてるんすか」
「いや、急に後ろから来たらびっくりしますよ」
「後ろにも目つけねえからザコ夜子なんすよ」
「あなたって人は……」
今日の蛍東さんは紫色の服を着ていて、どこか新鮮に感じる。
しかし、煽り癖は健在のようだった。
「ところで蛍くん、あの話はどうなったの?」
雨筆さんは、何やら私の知らない話を蛍東さんに聞く。
「ああ、それについてはなんも心配する必要ねえっすよ。ちゃんと話つけてきたっすから」
「なんの話ですか?」
私の疑問に、雨筆さんは答えた。
「実は僕、HALFに入ろうかと思って」
「本当ですか!?」
「まあね……ただ、こんな僕でもいいのか不安で……」
「それで、あたしが社長に話してきたんすけど、あの人普通にオッケーしてたっす」
私の知らない間に、色々と話が動いていたようだ。
「けど、どうして?アイドルやっているなら、大変だと思いますけど……」
「それなんだけど……あんなことがあったから、しばらく活動休止した方がいいかなって思って」
「それは……」
たしかに、その判断は間違ってはいない。
雨筆さんは、あのライブでインサニティが乱入してきて、異能者であることがバレてしまった。
異能者バレで起こることは、想像に難くない。
周りから急に距離を取られるし、影で何か噂される。適当な理由をつけて解雇だってされる。
雨筆さんのアイドルとしての道が厳しくなるのは、必然的だった。
彼女は続ける。
「それでね、これは完全に僕の自己満なんだけど……罪滅ぼしって言ったらいいのかな。夜子ちゃんたちに迷惑かけちゃったから、その分、役に立てることをできないかなって」
「それでHALFですか」
「……ダメだったかな」
雨筆さんは、申し訳なさそうに言う。
「私は賛成です。糖蘭さんも愛神先輩も、反対することはないんじゃないですか?」
「次集まる時に、雨筆も正式加入かなって、社長は言ってたっす」
「そうですか。けど、アイドルを諦めちゃっていいんですか?」
「今は少し休むだけ。インサニティを全部倒し切って、その時また1から始めるよ」
インサニティを全部倒し切る。
そんなこと、考えたことがなかった。
インサニティは、人がいる場所には必ず現れる災害だ。
もう何十年も前からレユアンに現れ続けているし、いくら倒してもその勢いが収まる気配はない。
それでも、まだわかっていないことも多い。
もし、発生原因を突き止められたら……雨筆さんは、きっとそんな希望を持っているのだろう。
「それじゃあ、私はこのくらいで。お2人の顔も見られたことですし」
私はそう言い、病室を去ろうとする。
しかし、蛍東さんに引き留められた。
「夜子」
「どうしましたか?」
私は彼女の方を振り返る。
「実は、あたしもあんたと話しときたいことがあるんすけど、ちょっといいっすか?」
「構いませんが……」
私は、雨筆さんの方に視線をやる。
彼女を置いて2人で話とは、一体何だろうか?
「行っておいで。僕は待ってるから」
雨筆さんはそう言うと手を振った。
その様子を確認した蛍東さんは言う。
「じゃあ、ちょっとついて来るっす」
「あっ、はい」
そそくさと病室を出る蛍東さんに、私はついて行った。
私たちは屋上に辿り着いた。
ここには、他に誰もいないようだ。
周辺は、落下防止に高いフェンスで囲まれている。
「で、急にどうしたんですか?」
私は、横に立っている蛍東さんに聞く。
彼女の空色の髪の毛が、風になびく。
「雨筆がイレギュラーになる前、あんたら2人で何してたか……それを聞いておこうと思っただけっすよ」
「やっぱり、気になりますか」
「そりゃあ、あんな状況、普通じゃなかったっすし」
「そうですよね……」
蛍東さんは、私と雨筆さんが血を流し合っていたという状況しか見ていない。
「だから、教えてほしいんすよ」
「雨筆さんには聞いたんですか?」
「あいつ、なかなか答えてくれなくて。だから、あんたに聞こうと思ったんすよ」
私は、蛍東さんにあの時のことを言うべきかどうか悩んだ。
だって、雨筆さんからすれば、きっと蛍東さんには知られたくないことだからだ。
彼女は、蛍東さんに嫌われることを恐れている。
それはきっと、今もそうだ。
「なんか、言えねえことなんすか」
「いや、そういうわけでは……」
「じゃあ教えろっす」
蛍東さんの側からすると、あの時のことを知りたいと思うのは無理もない。
本当のことを全部言わなくても、彼女を納得させればそれで良い。
私は、言葉を選びながら話す。
「……そうですね。あの時、私と雨筆さんで喧嘩になっちゃったんです」
「喧嘩?」
「あなたと仲良くしてる私たちに、雨筆さんが嫉妬しちゃったみたいで」
「それで、あんな惨状っすか」
「はい……。雨筆さん、本気で怒ってて。私も、歯止めが効かなくなって、あんなことになってしまったんです。けど――」
私がいい終わる前に、蛍東さんは事情を把握する。
「あの様子だと、もう仲直りしてるっぽいっすね」
「そうですね。私と雨筆さんは……もう友達ですから」
「あいつに友達っすか……」
蛍東さんは目を丸くする。
「?」
「いや、通りでなんか変わったなーって思ったんすよ。なんて言うか、世界が広がった感じ?とにかく、雨筆、今まであたしのことばっかり気にしてたっすから。なんか感慨深いっすね」
彼女はそう言うと、ニッと笑顔を見せた。
どうやら彼女は、雨筆さんの気持ちに気づいていたようだ。
「わかっているなら、もう少し自覚のある振る舞いをして欲しかったですね」
言ってから、少しトゲのある言い方になってしまったことに気付く。
蛍東さんは、よくわからない様子できょとんする。
「自覚?何の自覚っすか?」
「雨筆さんにとっての1番大切な人っていう自覚ですよ」
「もちろん、していたつもりっすよ」
「けど、結果としては、雨筆さんのイレギュラー化ですよ?」
「なんすか、あたしのせいなんすか?」
彼女はムッとして頬を膨らませる。
「いや、そういうつもりじゃないですよ?第一、イレギュラーはそんな人為的に発生させられるものじゃないですし。ただ……あなたの自由気ままな様子を見て、雨筆さんは不安に感じたんでしょうね」
「それは盲点だったっす。まあ、あんたのおかげで雨筆も良い方向に向かってそうだから、礼を言っておくっすよ」
そんなことを言う蛍東さんに、私は呆れた。
「あなたはお気楽ですね」
まあ、インサニティ退治をするなら、むしろこのくらいのマインドの方が楽なのかも知れない。
なんとなく、そう思った。
*
「さーて、全員揃ったことだし、始めようか」
ホワイトボードの前に立った柚先社長は、そう言って切り出した。
この会議室に集まるHALFのメンバーは、全部で6人となった。
部屋の真ん中の机は、ちょうど良いサイズになった気がする。
「じゃあまずこれ。修理から帰って来たよ」
柚先社長がそう言って取り出したのは、私と蛍東さんのガラケーだった。
「直ったんですか?」
「うん。すっかり元通り。糖くんの知り合いが直してくれたんだって」
「正確には、僕の知り合いの知り合いっぽいけどね」
「業務委託っすかよ」
蛍東さんが横から突っ込む。
私たちは、ガラケーを受け取る。
「ありがとうございます」
すると、柚先社長は言いにくそうに言う。
「まあ、今回は仕方なかったけど、次からは気を付けてほしいな。……これの修理、割とシャレにならない額がかかっちゃったから」
「シャレにならないって、どんくらいすか?」
蛍東さんは何気ない様子で聞いた。
柚先社長からは、驚きの答えが返って来た。
「2つ合わせて1億円」
「え」
「1億!?」
部屋の空気が凍り付く。
「待って社長、そんな大金払ったの!?」
愛神先輩が机に乗り出して食いかかる。
その一方で柚先社長は、スーパーで高めの肉を買ったくらいのテンションで言う。
「まあね。別に払える額だからいいんだけど……さすがにこのレベルの出費が頻発すると、色々面倒が多くなるからさ」
「いやそれ絶対ぼったくりっすよ!」
「いくらアーティファクトの修理でも、さすがに1億はないでしょ!」
「まあまあ、みんな落ち着いてよ。今回はもう払っちゃったから仕方ないし、次はぼったくられないようにすればいいんじゃない?」
柚先社長は、1億円のことを千円くらいに勘違いしているんじゃないか?
そんな疑惑すら湧いてくる。
一方で彼女の言う通り、仕方ない部分はあるかもしれない。
ガラケーを修理した人がどんな人かもわからないのに、これから殴り込みをかけても、どうにかなるわけではない。
柚先社長は次の話を始めた。
「んじゃあ、次は、雨くんが新しいメンバーになってくれたことだから、現状整理と今後の方針を共有しておこう」
「インサニティを倒すこと以外に何かあるの?」
雨筆さんが首を傾げる。
「君の言う通り、基本はインサニティが現れたら、速攻ぶち殺してもらったらいいよ。ただ、人も増えたから、みんな無理し過ぎなくていいからね。特に糖くん」
「僕?」
突然名指しでそう言われて、糖蘭さんは困惑する。
糖蘭さんは、私がここに来る前はほぼ1人でインサニティ退治をやっていたので、おそらくそのことを踏まえてのことだろう。
「あとみんな、イレギュラー02のことは忘れたらいけないよ」
「そうだね。あれはまだ、レユアンのどこかに潜んでるもんね」
愛神先輩は真面目な顔で言う。
柚先社長は続ける。
「幸い、先のイレギュラー――ナンバリング的にはイレギュラー03としておくけど、あれの浄化を夜子ちゃんが成功させたんだし、02の方に関しても希望は増えたと思うよ」
「たしかに、人数も増えましたし、私たち自身も、きっと4月の頃よりは強くなっているはずです。けど、向こうはそんな都合のいいタイミングで来てくれるでしょうか?」
「それが問題なんだよね。前までは来ないでほしいって思ってたのに、いざこっちの準備が整えば、どうやって出会おうか悩まないといけない。本当に厄介だね」
「インサニティ探知で見つけられないの?」
雨筆さんは疑問を口にする。
「それができないからイレギュラーなんだよね」
「どうしようもねえじゃねえっすか……」
蛍東さんが呆れたように言う。
すると、愛神先輩が切り出した。
「もう考えてても仕方ないし、とりあえず修行しよ!」
「そうですね。行きましょうか」
私はそう言って椅子から立った。
「夜子もあんたも、なんでそんな修行するんすか?」
蛍東さんは言った。
愛神先輩は答える。
「そりゃあ、最強であるためには常に修行して己を高めなきゃ。そう思わない?」
「別に」
「全くこれだから最近の若者は」
「別にあんたも年齢そんな変わんねえっすよね」
蛍東さんのツッコミに、愛神先輩は負けじと自分の主張を通す。
「とにかく!最強であるためには不断の努力が必要ってわけよ」
「その割には、夜子の方が強かった気がするんすけど。別に最強じゃなくないっすか?」
その瞬間、愛神先輩の顔が暗くなった。
「もう1回言ってみろよ、その言葉」
彼女から出た声は聞いたことがないほど低かった。
一発でわかった。蛍東さんの言葉は、言ってはいけないことだったと。
「いや……なんでもないっす……」
蛍東さんは、その気迫に気圧されながら、そう言った。
愛神先輩は、すぐに普段通りの顔に戻って言う。
「そう。じゃあ、行こう?」
そして、真っ先に部屋から出ていった。
「あ、待ってください!」
私は、彼女の背中を追う。
その時だった。
突然、ガラケーにメッセージが届いた。
立ち止まって画面を見てみると、送り主不明のメッセージだった。
『6月11日午前9時、凉華駅前のコンビニに1人で来い』
いかにも怪しげな言葉だが、一体誰が送って来たのだろうか?
送り主は書かれていない。
「どうかしたの?」
糖蘭さんは、ガラケーを見て固まる私を心配そうにしている。
私は咄嗟に画面を閉じた。
「な、なんでもありません」
「ならいいけど……」
一体、何が目的なのだろうか。
私には見当も付かない。
しかし、明日の予定はできてしまった。


