第8話、セッティング
- もやし 朝稲
- 8月5日
- 読了時間: 20分
晴れた空の下、糖蘭さんと蛍東さんは向かい合う。
糖蘭さんは背伸びしながら問いかけた。
「蛍東ってさ、強度いくつあるの?」
蛍東さんは準備運動しながら答えた。
「強度?3っすけど、それがどうかしたんすか?」
「ほら、一応聞いておいた方がいいでしょ」
「そう言うあんたはどのくらいっすか」
「4だよ」
「思ったより堅いじゃねえっすか。これは本気で殴っても大丈夫ってことっすね」
「あんまり痛いのはごめんだなあ」
糖蘭さんは苦笑する。
「2人とも、そろそろ準備はいいかい?」
私の隣に立っている柚先社長が、2人に声をかけた。
「大丈夫です」
「いつでもどうぞっす!」
2人の反応を見た柚先社長は、合図を出した。
「よーし。それじゃあ行くよー!」
彼女の声と共に、2人は構える。
「よーい、始め!」
まず最初に攻めたのは、蛍東さんの方だった。彼女は目にも留まらぬ速さで糖蘭さんに近づき、拳を突き出す。
「おりゃっ!」
「っ!」
糖蘭さんはそれに反応し、バリアを展開して防ぐ。
ガキンと鈍い音が鳴る。
蛍東さんは怯むことなく、ものすごいスピードで攻撃しまくる。
その動きはあまりにも素早く、瞬間移動のようにすら見えた。
傍観している柚先社長は、腕を組んで頷く。
「おそろしく速い攻撃……俺でなきゃ見逃しちゃうね」
「あんなスピード、いくら異能者と言えど、出せるものなんですか?」
「少なくとも、俺は無理かな。あのスピードこそが、蛍くんの異能なんだろうね」
「なるほど」
私は頷き、戦う2人を眺め続ける。
蛍東さんは攻撃する手を休めることなく、糖蘭さんに話しかける。
「どうしたんすか?反撃しないんすか?」
糖蘭さんも、攻撃を防ぐ手を止めることなく答える。
「君を傷つけるようなことをしたくないだけだよ」
「あんた、随分優しいんっすね。けど、それじゃあこのタイマンの意味がなくないっすか?」
「そうかな。わざわざ僕が攻めなくてもいい気がするけど……」
「あ、もしかして、反撃しないんじゃなくて、できないんすかぁ?」
蛍東さんはそう言った。完全に煽っている顔だった。
糖蘭さんは、少しムスッとしたような顔をする。
「あんまり舐められるのも気分が良いとは言えないなあ。……こっちもちょっと手を見せるね」
その瞬間、青白く光るチェーンが何本も現れて、蛍東さんめがけて飛んでいく。
「おもしろくなってきたじゃねえっすか!」
蛍東さんはそう言うと、飛んでくるチェーンを避け始めた。
僅かな隙間をスルリと抜けていき、瞬く間に距離を詰める。
そして、糖蘭さんに一発入れた。
「うっ!」
「っ!」
衝撃波がこちらにまで伝わってきた。
糖蘭さんは後方に飛ばされて、地面のコンサートに叩きつけられる。
そして体勢を整える暇もなく、蛍東さんが飛んでくる。
糖蘭さんはギリギリのところでバリアを展開して、蛍東さんの攻撃をなんとか受け止める。
ガリガリとバリアが反発する音がする。
「糖蘭ってもしかしてザコなんすか?」
「まあ、自分で言うのもあれだけど、HALFの中では最弱だと思うよ」
「じゃあ、あたしの勝ちってことで」
「……それはどうかな」
糖蘭さんがそう言った瞬間だった。
後ろから、チェーンが飛んできて、蛍東さんの体に巻き付いた。
「なっ!」
「油断したね。これで僕の勝ちだよ」
「ちょ、それは早計っすよ!」
蛍東さんはそう言いながら、ジタバタする。
糖蘭さんは立ち上がりながら言う。
「僕のチェーンは、君の体くらいなら潰せるよ。……まあ、あんまり使いたくない戦法ではあるんだけど」
「はあ!?やれるもんならやってみろっす!」
「それはさすがにちょっと……」
「なんすか、やっぱできねえんすか?やっぱザコなんすか?」
「まあまあ、2人ともご苦労さま」
柚先社長は2人の間に割って入った。
糖蘭さんは蛍東さんを解放する。
「まだ終わってねえっすよ!」
蛍東さんは食って掛かる。
柚先社長は彼女を制止して言う。
「蛍くんの力は大体把握できたんだから、これでいいと思うけど……どうやら君も負けず嫌いなようだね」
「負けず嫌いで悪いっすか」
「さあねぇ。熱くなれるならいいんじゃないかな」
なんとなく、私がHALFに来た時の愛神先輩が思い出された。
私がそんなことを考えていると、柚先社長は言う。
「よーし、それじゃあ戻ろうか。あ、蛍くんは俺について来て。糖くんと夜ちゃんは先に戻っておいて」
そう言われた私たちは、事務所へと向かった。
しばらくの間、私と糖蘭さんは会議室で時間を持て余していた。
私は、糖蘭さんに質問を投げかけた。
「糖蘭さん、さっき、チェーンで蛍東さんくらいなら潰せるとか言ってましたけど、本当ですか?」
「あの子がよっぽど変な体質でも持ってない限りはできるよ」
彼女はそう答えた。
「それって結構強いのでは?」
「え、そうかな」
「はい、そう思います」
「夜子がそう言ってくれるのなら、そうかもね。けど、さっきも言ったと思うけど、あんまり使いたくはない戦法なんだよね」
「どうしてですか?」
「チェーンでインサニティを潰すときの感覚がさ、なんか嫌な感じするんだよね」
「虫を潰しちゃった時みたいな感じですか」
「ああ、それに近いや」
「インサニティは虫とは違って生き物なんかじゃないんですよ?」
「それはちゃんとわかってるよ。けどやっぱ、なんか嫌じゃん」
私たちがそんな風に話していると、柚先社長と蛍東さんの2人が帰ってきた。
蛍東さんの手を見ると、黄色のガラケーがあった。
2人はどうやら倉庫に行っていたようだ。
「お待たせ」
柚先社長はそう言って、パイプ椅子に座った。
「蛍くんも好きなとこ座りな」
しかし蛍東さんは、壁に貼ってあるポスターたちを眺めて聞いた。
「あそこのポスターって誰が貼ったんすか?」
糖蘭さんは答える。
「今はいないメンバーたちだけど……どうかしたの?」
「いや……なんでもないっす」
彼女はそう言うと、私の向かいに座った。
「それにしてもこの事務所、満遍なく散らかってるっすね。掃除してます?」
蛍東さんは、部屋を見渡しながら言う。
「してないね。ずっとこんな感じ」
柚先社長は自信満々に答えた。
「しろやっす」
「いやあ、あんまり余裕がなくってねえ」
「まったく。片付けよわよわ人間しかいないんすか?」
糖蘭さんが横から言う。
「まあそれも否定できないんだけど……片付けようにも、あの人たちの物もいっぱいあるし、勝手に触るのも悪いよね」
「あの人たちって、冬兎さんとか蓮水さんとかですか?」
私の質問に、柚先社長は呆れながら返事する。
「そうそう。俺らを遺してどっか行っちゃってさ。ほんとに困った人たちだよ」
「連れ戻してこればいいんじゃないっすか?」
「それができたらとっくにやってるよ」
柚先社長はそう言った。沈んだ声だった。
それも無理はない。もうこの世にはいない人を連れ戻すことはできないし、蛍東さんは何も知らない。
せめて、失踪したらしい優灯さんが生きていてくれれば、柚先社長も気が楽になるだろうに。
そんなことを考えても、私にはどうすることもできない。
それからは、私がここに来た時と同じように、HALFの活動内容の確認や現状の共有などをして、解散する流れとなった。
しかし、なぜか私と糖蘭さんは蛍東さんに連れられて、神宮の北の方にあるゲーセンに行くこととなった。
*
たくさんの筐体がひしめく店内を、私たちは歩いて行く。蛍東さん曰く、この店は神宮あたりでは1番大きいゲーセンらしい。
いろんな音が混ざり合い、私の耳にどんどん入っていく。
「それにしても、なんでゲーセンなんかに私たちを連れて来たんです?」
私は周囲を見渡しながら、蛍東さんに問いかける。
「この後あたし、バイトがあるんすけど、それまでの時間潰しっすよ。それに、親交を深めるのも大事っしょ?」
「それなら柚先先輩も連れて来たらよかったなあ」
糖蘭さんはそう言う。
「まあ、あの人は用事があるって先に帰っちゃいましたし、仕方ないですよ」
「たしかに。そうだね」
「それにしても、HALFって過去になんかあったんすか?」
蛍東さんは突然、私の方に振り返り、そんなことを聞いてきた。
冷や汗が出る。よりにもよって糖蘭さんがいるところで、こんな話題が出るとは思わなかった。
「ど、どうしてそんなことを聞くんですか?」
私はなんとか動揺を隠そうとしながら聞き返す。
「いや、なんか、メンバーの変動があったっぽいっすし。ちょっと気になって」
「ああ、それは――」
「それは別の機会に話しましょう?ここ、音がうるさいですし、話すなら静かな場所の方がいいでしょう?」
私は糖蘭さんを遮って、なんとか話題を逸らそうとした。
蛍東さんは怪訝そうな顔をしながら言う。
「……まあ、そうっすね。今は聞かないことにしておくっすよ」
彼女はそう言った。
私は一安心して、大きなガラスケースに入ったたくさんの景品を眺める。
しばらくすると、蛍東さんはそんな私の視線に気が付いたのか、提案する。
「せっかくっすし、何か取ってあげましょうか?」
その提案に、糖蘭さんは言う。
「今時のクレーンゲームってほどんど確率機だし、結構渋くない?」
「ちょ、あんた、あたしのこと舐めてるんすか?」
蛍東さんはそう言うと、財布から100円玉を取り出し、コインの投入口に入れた。
彼女がレバーを動かすと、アームが動きだす。
「あたしを前にすれば、確率は何の意味も成さねえっす。有象無象のざこざこ人間共とは違うんすよ」
彼女は自信たっぷりに言った。
アームは、大きなイルカのぬいぐるみを掴んだ。そして、そのまま持ち上げる。
私と糖蘭さんはその様子を、息を呑んで見張った。
どんどん出口に近づいていく。
そしてついに、イルカのぬいぐるみは見事に出口の穴に落ちていった。
蛍東さんは出てきたイルカを取り出して言った。
「ほら、取れたでしょ?」
「本当だ……」
糖蘭さんは驚いた。
「一発で取れることってあるんですね」
私は彼女のスキルに関心した。
「はい。これ、夜子にあげるっす」
蛍東さんはそう言うと、ぬいぐるみを私に差し出した。
急に差し出されたモフモフに、私は困惑した。
「え、いいんですか?」
「元からそのつもりだったっすし」
「あ、ありがとうございます」
私はぬいぐるみを受け取った。大きくて、ふわふわしていて、抱き心地が良い。
「しょうがないっすし、糖蘭の分も取ってやるっす」
「僕はいいよ。こんな大きいのが2つあっても部屋が狭くなっちゃうし」
「ふーん、そうっすか。……って、え、もしかしてあんたら、一緒に住んでるっていうことっすか!?」
蛍東さんは驚いた表情をしながら聞いてくる。
「私が糖蘭さんのところに居候させてもらってるっていう感じなんですけどね」
「え、それってどういう関係なんすか?もしかして付き合ってるんすか!?」
蛍東さんは糖蘭さんの首を掴みながら食い下がる。
「それは違います!!」
「苦しい苦しい」
私は全力で否定した。変に勘違いされては困る。
糖蘭さんは説明する。
「ただ、困ってる夜子に出会ったから、ちょっと助けてそのまま一緒に暮らしてるってだけだよ」
「ちょっとよくわかんないっすけど、糖蘭は、見ず知らずの人間を急に家に引き連れたってことっすか?」
「そうなるかな」
「……あんたら、だいぶ神経イカれてるっすね」
蛍東さんは辟易とした様子で頭を抱えた。
「けど今は、夜子は僕のことを1番大切だって思ってくれてるし、一緒にインサニティ退治もできるし、あの時の選択は間違ってなかったと思うよ」
糖蘭さんの火に油を注ぐような発言に、私は辟易した。
「あの、糖蘭さん?そういうこと言うのはやめてもらえますか?」
「え、なんすかその話よく聞かせてくださいっす」
「何でもないですって!」
そんな風に喋りながらも、私たちはいろんなゲームをした。
ゲーセンにはほとんど来たことがなかったので、新しい体験だったことは間違いない。
どのゲームをやっても蛍東さんがやたらと強かったが、なんだかんだで複数人で遊ぶのは楽しく、あっという間に時間が過ぎていった。
名残惜しいが、そろそろ帰ろうかとなっていた時だった。
「ねえ」
ふと、後ろから知らない声がした。
振り返ってみると、1人の少女が立っていた。黄色い服を着た可愛らしい少女だった。両手には2本の傘を持っている。
私は彼女の顔を見て、初対面のはずなのにどこかで出会ったような、そんな既視感を覚えた。
1番最初に反応したのは蛍東さんだった。
「どうしたんすか?こんなところまで来て」
どうやら彼女は、この少女を知っているらしい。
「帰りが遅いから、ちょっと心配になっちゃって」
「それは悪かったっす」
「蛍くん、この人たちは?」
「ああ、新しい職場の仲間っす」
「へえー、そうなんだ」
「どうも」
「君は蛍東の友達?」
私は軽く挨拶をして、糖蘭さんは少女に質問した。
「友達っていうか……――」
「こいつは雨筆。あたしのダチっす」
少女もとい雨筆さんが言いかけたことを遮り、蛍東さんは言った。
雨筆さんは若干戸惑いながらも、私たちに話しかける。
「えっと、そう。僕は雨筆。それより、君たちの話は蛍くんから聞いてるよ?君が糖蘭くんで、君が夜子ちゃんだよね?」
「はい、そうですけど……」
まさか、私たちのことが知られているとは思っていなくて、少し驚いた。
「蛍東、何話しちゃってんの」
糖蘭さんが突っ込む。
「あ、まずかったっすか?」
「いや、そういうわけでもないけど……」
糖蘭さんはおそらく、蛍東さんを含む私たちの異能者バレを危惧したのだろう。しかし、そんな心配の必要はなかった。
「あ、大丈夫だよ?君たちが異能者なことはもう知ってるから」
「え、何でそこまで話しちゃうんですか!?」
まさか、自分の知らないところでアウティングされていたとは、思いもしなかった。
いや、バイトをしていた時は度々あったが、異能者にそういうことをされるのは予想外だった。
しかし、よく考えてみると、雨筆さんは蛍東さんが異能者であることを知った上で一緒にいるのだ。あまり警戒する必要もないのかもしれない。
「それより夜子ちゃん」
雨筆さんは急に顔を近づけてきた。透き通るような青い瞳がこちらを捉える。
「何ですか?」
私はその綺麗さに、思わず引き込まれそうになる。
「君が蛍くんをインサニティ退治に誘ったんだって?」
「まあ、そうですかね。いや……どちらかというと社長が元凶ですけど」
「そうなんだ。これから蛍くんをよろしくね?」
彼女は笑顔で言った。
しかし、その瞳は一瞬、泥でも混ざったかのように濁った。
「は、はい……」
私は彼女が発する奇妙な感覚に気圧された。
その時だった。ガラケーがポケットの中で唸った。
「こんな時にインサニティっすか」
蛍東さんはめんどくさそうに言う。
「そんなに遠いわけじゃない。みんな行くよ」
糖蘭さんの言葉に、私は返事をする。
「はい!」
「行くってどこに?」
雨筆さんは困惑しながら聞いた。
私はそれに答えた。
「もちろんインサニティのところにですよ」
店から出ると、空はいつの間にか分厚い雲に覆われていた。
今にも雨が降り出しそうだ。
糖蘭さんは、そんな空模様を見上げながら言う。
「さっさと終わらせようか。途中で雨が降ったらいけない」
「そうですね」
私は大きなイルカのぬいぐるみを抱えて、糖蘭さんの横を走る。
「あそこ!」
蛍東さんが指差した先に、インサニティはいた。
「糖蘭、雨筆をよろしくっす。ここはあたしと夜子で行くっす」
「了解。夜子、ぬいぐるみは僕が持ってるよ」
「お願いします」
私はぬいぐるみを糖蘭さんに預けた。
「それじゃあ、ちゃちゃっと終わらせちゃおうっす」
「はい!」
蛍東さんは目にも留まらぬ素早さでインサニティに突っ込む。
そして、その間合いに入ったかと思うと、急に方向転換して攪乱する。
私はその隙を狙って、念力を集中させた拳をインサニティに振りかざした。
「はぁ!」
「ガアア!」
命中。
インサニティはそのまま後方へ飛んでいく。しかし、すぐに態勢を立て直し、反撃してくる。
蛍東さんはすぐに前に出て対処しようとした。
しかし、突進してくるインサニティとぶつかった。
「蛍東さん!」
「あ"っ!」
彼女はそのまま飛ばされて、壁に打ち付けられた。
「大丈夫ですか!?」
「夜子!また来るよ!」
「っ!」
糖蘭さんの言葉を受けて、私が身構えたその時だった。
インサニティの腹に、水でできた矢が大量に刺さった。
「ウグ!」
矢が放たれた方向には、雨筆さんがいた。彼女の手には、水でできた弓があった。
雨筆さんがやったのか……?
いや、考えるのは後にするべきだ。
それより、さっきの攻撃のおかげでインサニティは隙だらけだった。
私は最大出力の念力を腕に集中させ、インサニティに突っ込んだ。
「うおりゃああ!!」
そして、その拳で相手の腹を突き破った。
衝撃で地面がえぐり取られる。
「ウガアアア!!」
インサニティは断末魔を上げながら、黒い煙をまき散らして消えていった。
「よしっ」
達成感から、私は思わずガッツポーズをした。
「夜子、よくやった!」
糖蘭さんはそう言いながら私の元に駆け寄って来た。
「ありがとうございます」
彼女に褒められて、嬉しさと若干の気恥ずかしさを覚える。
蛍東さんと雨筆さんも私の元に来た。
私は先ほどのことが気になり、雨筆さんの方に顔を向ける。
「雨筆さんって異能者だったんですか?」
「えっと、それは……隠してごめんなさい!」
雨筆さんは勢いよく頭を下げた。
「えっ、あの、別に責めるつもりはなかったんです。むしろ助けていただいてありがとうございます」
「そ、そう?」
「はい」
私がそう答えると、彼女は嬉しそうに笑った。
「えへへ。役に立てたならよかったよ。それより、蛍くんは大丈夫?」
雨筆さんは、蛍東さんの方を見ながら言う。
「このくらいヘーキっすよ」
多少攻撃を受けた彼女だったが、ピンピンしていた。
「もう。あんまり危ないことしたら承知しないんだからね」
雨筆さんは頬を膨らます。
「わかったっす」
「君たちって仲良いんだね」
糖蘭さんは微笑みながら言う。
「まあね。レユアンに来てからずっと一緒だから。……あっ!もうすぐ雨が降っちゃう。早く帰らなきゃ」
雨筆さんはそう言った。
私は空を見上げる。
「たしかにこの雲の様子だと、そのようですね」
「夜子ちゃん、糖蘭くん。この傘貸してあげるね。1本しか貸してあげられなくて申し訳ないけど……」
「え、いいんですか?」
「うん!今から5分もすれば雨が降っちゃうし、明日の6時38分まで止まないからね」
「あ、ありがとうございます」
「ありがとう」
私は、雨筆さんのやけに具体的な天気予報に困惑しつつも傘を受け取り、糖蘭さんと顔を見合わせた。
彼女も若干困惑しているようだった。
「それじゃあ2人とも、また会いましょ」
「ばいばい」
蛍東さんと雨筆さんは去っていった。
「それじゃあ僕たちも帰ろっか」
「そうですね」
私と糖蘭さんが歩き出した。
「あ、そのぬいぐるみ、私が持ちますよ。元々私が貰った物ですし」
「このくらい僕が持つよ。夜子はインサニティ退治頑張ってくれたんだから」
「歩きにくくないですか?」
「うーん、それはちょっと否定できないかもね。けど大丈夫だよ」
私は彼女の言葉に甘えることにした。
「それよりさ」
突然、糖蘭さんは切り出す。
「何ですか?」
「あの雨筆っていう子、どこかで見たことあるような気がするんだよね」
「糖蘭さんもそう思いましたか」
「どこで見たんだろうね?」
「さあ?」
そんなことを話しながら歩いていると、しばらくしてから雨が降り出した。
雨筆さんから借りた傘を差して、私と糖蘭さんの2人で入る。
そういえば、私たちが初めて出会った時もこんなことをしていたが、心なしか距離が縮まったように感じた。
*
私は朝から糖蘭さんを叩き起こして、事務所にやって来た。無事、蛍東さんもHALFに入ってくれたことなので、早速修行をするというわけだ。
天気こそ晴れているが、昨日の雨で濡れた地面はまだ乾ききっておらず、太陽に照らされた水気がキラキラしていた。
会議室のドアを開けると、パイプ椅子に座っている柚先社長に出会った。今日の彼女は、ピンク色のジャージを着ている。
「やあ、夜ちゃん糖くん。そろそろ来るところだと思っていたよ」
糖蘭さんが挨拶する。
「おはようございます」
私は柚先社長に聞く。
「社長も一緒に修行してくれるんですか?」
「まあね。最近あんまりできてなかったし。腕が鈍る……なんてことは滅多にないだろうけど、何もしないっていうのも居心地が良くないものだからね。それにしても、自主的に修行するとは、やっぱりHALF諸君は真面目だねえ」
「私、もっと強くなって、イレギュラーを倒さないといけませんから」
「いいねぇ、その向上心」
私たちが話していると、ドアが開いた。
「おはようっす」
そして蛍東さんが部屋に入ってきた。
しかし彼女の背中には、もう1人誰かがいた。
「おはようございます。……?そこにいるのは誰ですか?」
「ああ、雨筆っすよ。なんか、ついて行きたいっていうから、連れてきちゃったっす」
彼女がそう言うと、雨筆さんが現れた。
今日の彼女は、黄色いキャップを被っている。
「あの、邪魔だったら帰るけど……」
彼女は遠慮がちにそう言った。
しかし、そんなことはお構いなしというように、柚先社長はズイッっと前に出てきた。
「君が雨くんだね。むしろ会えて嬉しいよ!さあ、中に入りな」
「えっと、あなたは?」
雨筆さんは、困惑したような顔を柚先社長に向けながらも、こちらに連れ込まれる。
「俺は柚先。一応HALFのリーダーをやってるよ。せっかくだし、君も社長って呼んでよ」
「先輩。いつからここは会社になったんですか」
糖蘭さんが、聞き覚えのあるツッコミを入れる。
「まあまあ、細かいことはいいじゃん」
「そういえば昨日、夜子ちゃんが社長って言ってたのは――」
「そうそう。蛍くんを勧誘した社長っていうのが俺だよ」
雨筆さんの問いかけに、柚先社長はそう言った。
「そうですか……」
その瞬間、ほんのわずかだったが雨筆さんの瞳が濁ったことを、私は見逃さなかった。
しかし柚先社長は、ずいずいと話を進める。
「せっかくだし、君も俺らの仲間にならない?一緒にインサニティ退治しようよ」
「え、きゅ、急にそんなこと言われても……」
雨筆さんは、いきなりの提案に困惑しつつ、あまり乗り気でないように目をそらした。
「君の実力なら、結構良い働きをしてくれそうなんだけどなぁ……。けど、仕方ないか。アイドルは忙しいもんね」
「え……アイドル……?」
私は、柚先社長の発言が唐突すぎて、聞き返した。
「ああ、そう言うことだったのか!」
糖蘭さんは、何かに納得したようだった。
雨筆さんは言う。
「よく気づきましたね柚先社長」
私は気づいた。
「アイドル……あっ!もしかして、そこのポスターって――」
私は、この部屋の壁に貼ってあるアイドルのポスターを見た。髪型こそ違えど雨筆さんにそっくりな少女が、そこにいた。
昨日、彼女と初めて出会った時に感じた、あの既視感の正体を突き止めた。
「ようやく能天気な夜子でも気づいたっすか」
蛍東さんが、私を煽るように言う。
「能天気とは何ですか!」
「まあまあ。気づかなくても仕方ないよ。だってこれ、デビューしたての頃やつだもん。懐かしいなー」
雨筆さんはそう言いながら、ポスターを眺める。
「もしかして、ここに僕のファンがいてくれたりする?」
糖蘭さんが答える。
「半年前まではいたよ」
「そっか……会えないのは残念だけど、嬉しいよ。このポスターをずっと残しておいてくれたんだから。いつか会えるといいな」
雨筆さんは笑顔でそう言った。
蓮水さんがすでにこの世にいないことを知っている私としては、何とも言えない気分になった。
私はその気分を紛らわすように言った。
「皆さん揃ったことですし、そろそろ修行始めませんか?」
「そうだね。始めよう」
「僕もついて行っていいかな?」
「もちろん雨くんも来な」
「これって僕もやらなきゃダメ?」
糖蘭さんが気だるげに聞く。
「もちろんです」
「ところで修行って何するんすか?」
「いろいろしますよ」
私たちはそんなことを言いながら、外へ出て修行を始めた。
*
「それじゃあ夜子、おやすみ」
糖蘭さんはそう言うと、奥の部屋に入っていった。
「おやすみなさい」
私はリビングの電気を消して、ソファに寝そべる。
修行でたくさん体を動かしたからか、すぐに瞼が重くなってくる。
そして、私はすぐに眠り込んだ。
夢を見た。
やけに現実感のある夢だった。
私は、真っ赤で分厚い雲が垂れ込める空の下に立っていた。
よく見慣れた神宮地区の街並みは、なぜか私の膝くらいまで水没していた。
大雨でも振ったのだろうか。
何が起きたのかはよくわからないが、私はとにかく水をかき分けながら前に進む。
しばらく歩いてみたが、誰もいない。
不気味に感じてくる。
すると突然、後ろから何かが流れてきて、私の足にぶつかった。
振り向いて確認してみると、それは雨筆さんだった。
「っ!?」
私は驚いて、思わず飛び上がる。
「雨筆さん、大丈夫ですか?しっかりしてください!」
しかし彼女からの反応は何もなかった。意識がないらしい。
「そんな……」
そうしていると、突然周囲の水が赤く変色しだした。
「えっ……っ!?」
赤色はどんどん広がっていく。
気味が悪い。
そんな中で、急に雨筆さんの体がビクッと動いた。
「……」
私がしばらく見守っていると、彼女の体から黒くてベトベトした何かが飛び出してきた。
私はそれに飲み込まれていった。
恐怖のあまり、叫ぶことしかできなかった。
「いやああああ!!」
目覚めた時には、もう朝になっていた。




