top of page

第4話、彼女の服を掴んだ

 空が赤い。

 夕焼けのようなきれいな赤ではない。血のようなどす黒くて不吉な赤だ。

 それが天球を満遍なく覆っているせいで、今が昼なのか夜なのかも、わからない。

 そんな空の下、私はひたすら走っていた。明確に目的地があるかと言えば、そうではない。ただ、直感に任せて走っていた。

 見慣れたレユアンの街並みは、もうどこにもない。

 建物は壊れて、モノレールは脱線して、地面のアスファルトは抉られて――おまけに血に塗れた人間のようなものが、そこらじゅうに転がっている。

 この世に地獄があるとすれば、きっとこんな場所なのだろう。そう思えた。

 やがて私は、広い交差点にやってきた。そして、そこにあったものに目を見張った。

 そこには、柚先社長と愛神先輩が転がっいた。その様子は見るも無惨だった。

 柚先社長の右腕はどこにもなくて、穴が開いた腹部からは、内臓が飛び出している。

 愛神先輩は、頭から指先まで全身に神秘崩壊の赤黒いヒビが入り、顔の左半分は完全に砕けて原型を失っている。

 2人の周りには大量の血が溜まっていた。

「柚先社長!愛神先輩!」

 私は2人に駆け寄った。その血溜まりが跳ねて、私の足元を赤黒く染めた。

 そんな中、少し向こうに誰かが立っているのが見えた。赤で覆い尽くされたこの空間に、ぽつんと存在するその綺麗な白髪は、糖蘭さんだった。

「糖蘭さん!」

 私は叫びながら彼女のもとに駆け寄った。

 よかった。糖蘭さんは生きている。そう思って――

 しかし、ほどなくして、彼女は力無く倒れた。バタッと音がした。地面は徐々に赤くなっていく。

 私は彼女の顔を覗き込んだ。金色の瞳は、光を失って黒ずんでいる。

 真っ赤な血がアスファルトを染める。

「あ……」

 結局、私は何もできなかった。

 ふと顔をあげると、少し遠くに、真っ黒な怪人が立っていた。

 顔は見えないが、きっと私を見て嘲笑っているにちがいない。



「っ――!」

 私は、勢いよく起き上がった。

「はぁ、はぁ……」

 全身が汗でびっしょりしている。濡れたTシャツが体に張り付いて気持ちが悪い。浅い呼吸しかできなくて、バクバクする心臓の動きが止まらない。

 いつものリビングは、まだ少し暗い。壁に吊ってある時計を見ると、まだ5時にもなっていなかった。

 私は頭を抱えた。

 呼吸と脈拍は少し落ち着いたが、さっきの夢が鮮明に脳裏に焼きついて、恐ろしさと気持ち悪さが離れない。

 あれは、あの赤い空の夢は、おそらく予知夢だ。

 私は霊感を持っているせいで、良くない出来事が起きる少し前に、不吉な赤い空の夢を見る。

 イレギュラー事件のときもそうだった。赤い空の下、たくさんの死体が転がっていた。今でもはっきりと覚えている。

 さっきの夢では、柚先社長、愛神先輩、そして糖蘭さんが死んでしまった。これが何を意味するのか、考えたくもなかった。

 そして私は、糖蘭さんのことが心配になった。寝ていたソファから立ち上がり、彼女の寝ている部屋へ向かう。

 音を立てないように、ゆっくりとドアを開けて中に入った。

 糖蘭さんは暗い場所が苦手なのか、寝る時は常に豆球をつけている。

 なので、彼女が寝ている4畳半の部屋は、リビングよりも少しだけ明るかった。本棚に目をやると、そこにあるマンガやラノベや学術書の背表紙の文字がうっすらと分かる。

 私はベッドに近づき、糖蘭さんの顔を覗き込んだ。

 彼女は、私の不安な気持ちを何も知らないで、すやすやと眠っている。

 枕に広げられた彼女の白髪は、薄暗い部屋の中でわずかに明るくなっているような気がした。

 彼女を見ていると、やっと見つけた居場所が壊れてしまうという、恐怖と不安が湧き上がってきた。


 *


 私は、朝食のベーコンエッグトーストをかじった。あまり味がしない。塩加減を間違えたのかもしれない。

 机越しの目の前に座っている糖蘭さんは、私と同じベーコンエッグトーストをおいしそうに食べている。そして、彼女は機嫌が良さそうに言った。

「今日のベーコンエッグトースト、いつもよりさらに増しておいしいね」

「そうですか?それはよかったです」

 私はなんとか笑顔を作る。

 糖蘭さんの反応を見るに、このベーコンエッグトーストはおいしいらしい。しかし、私の舌にはそれが分からない。

 そして、糖蘭さんの幸せそうな笑顔を見ると、不安になった。

 今朝の夢がフラッシュバックする。

 真っ赤な空、崩壊した街並み、死んだ柚先社長と愛神先輩と糖蘭さん。

 トーストを食べる手が止まる。

「……夜子?」

 糖蘭さんは不思議そうに、しかし優しい声で私の名前を呼んだ。そして、心配そうに私の顔を覗き込む。

「ど、どうかしましたか!?」

 私は必死に取り繕ったが、糖蘭さんは怪訝そうな様子でこちらを見る。

「今日の夜子、なんか調子悪そうだけど」

「そう、ですかね……?」

「何かあったの?」

「……」

 私は返事に困った。

 ここで変に誤魔化せば、糖蘭さんにさらに心配をかけるだろう。かと言って、夢のひどい内容をそのまま話すことは、私にはできない。

 私はどうにか考えた末に、おそるおそる口を開いた。

「その……今朝、怖い夢を見ちゃって……」

 こんな子どもっぽい理由で、笑われるのではないかと不安になった。

「……そっか。たまにあるよね。起きた後も尾を引くような嫌な夢。ちょっと疲れてるんじゃない?ほら、ここ最近でいろいろあったし」

 私の不安とは裏腹に、糖蘭さんは私を心配してくれているようだった。

「たしかに、そうかもしれませんね」

 よく考えてみると、私が糖蘭さんと出会ってから、まだ2週間も経っていなかった。

 私がそう思っていると、突然、玄関のチャイムが鳴った。

 ピンポーン――

「ちょっと出てくるね」

 糖蘭さんはそう言いながら椅子から立ち上がり、玄関の方へ向かった。

 私が、宅配便か何かかと思いながら少し待っていると、何やら上機嫌な糖蘭さんが帰ってきた。彼女の腕には、A4サイズの封筒がある。

「なんですか?それ」

 私が聞くと、糖蘭さんは笑顔で答えた。

「新しい論文!僕の前職の同僚が書いたらしくて、送ってくれたんだ」

 糖蘭さんはそう言いながら、封筒から分厚い紙束を取り出した。

 私は首をかしげる。

「論文……?糖蘭さんって随分とマニアックというかアカデミックなことをするんですね。前職って、学者か何かですか?」

「そういや、夜子には言ってなかったっけ。実は僕、HALFに来るまで、神宮大学で研究員をやってたんだ」

「そうだったんですか!?」

 私はそれを聞いて驚くと同時に、ふと、糖蘭さんの寝ている部屋の本棚のラインナップを思い出した。

「あ、もしかして、本棚に難しそうな本がたくさんあったのって……」

「研究員時代に集めてた本だよ。神秘について色々研究してたからね。まあ、今は趣味の範囲で軽く触ってるだけだけど」

「神宮大学の研究員って、なろうとしてなれるものではないですよね。やめちゃったのは、ちょっともったいなくないですか?」

 私はそう聞いた。

 糖蘭さんは少し考えてから答えた。

「……たしかにその通りかもね。僕も、最初はあそこの研究員が天職だと思ってたし、やめる気なんて一ミリもなかったよ。けど、研究より大事なものを見つけちゃったから、仕方ない」

「大事なもの……?」

「そう。大事なもの」

 私は考えを巡らした。そう言えば、糖蘭さんは愛神先輩のためにHALFに来たんだっけ。

 私は、ひとつの答えに辿り着いた。

「もしかして、愛神先輩のことですか?」

「さあ、どうだろうね?」

 糖蘭さんは論文をパラパラめくりながら、答えをはぐらかした。

 私は彼女から答えを聞けなくて、若干不満に思ったが、その瞬間だった。

 論文の隙間から、2枚の紙切れが飛び出してきて、ひらひらと床に落ちた。

「何これ」

 糖蘭さんはかがんでそれを拾った。

 私もそれを覗き込む。

 どうやらそれは、チケットのようだった。大きな水槽の中を泳ぐ魚たちが、鮮やかに印刷されている。

 私は、そのチケットに書かれている文字を読んだ。

「常浜水族館、ですか?」

「そうみたい」

「どうしてこんなものが?糖蘭さんの同僚の方が間違えたんですかね?」

 糖蘭さんは少し考えてから言った。

「いや、あの人なら大方故意だね。せっかくだし、夜子の気分転換も兼ねて、2人で水族館行こうよ」

「私とですか!?」

 唐突な提案に、私は驚いた。糖蘭さんは少し困惑しているようだった。

「え、そうだけど……もしかして、都合悪かった?」

「いや、全然そんなことはないですよ!……ただ、私でいいのかなって」

「別に、よくないことなんて何もないよ」

 糖蘭さんはそう言った。

 結局、私たちは朝食を食べた後、常浜水族館に行くことになった。

 

 *


 私たちが住んでいる神宮地区から北に進んで、1つ地区を超えたところにあるのが、常浜地区だ。神宮より住んでいる人は多くないものの、海岸近くには娯楽施設が多くある。

 そして、その常浜地区にあるのが、私たちの目的地、常浜水族館だ。レユアンの中で1番大きな水族館で、展示されている生き物たちの種類も1番多い。もちろん、人気もレユアンで1番高い。

 そんな水族館に館内は、人でごった返していた。

 私にとってそれは、入場ゲートを超えた瞬間から異世界に来たような感覚だった。朝に感じていた嫌な気持ちは、とっくに忘れてしまっていた。

「わあ、すごい!見てください糖蘭さん!魚がいっぱいいますよ!」

 私は糖蘭さんのパーカーの袖を引っ張りながら、水槽に近づいていく。

 大きな水槽の中で、色とりどりの宝石のような魚たちが、ひらひらと泳いでいる。

 私はそれに魅了された。思わず感嘆の声が漏れる。

「わあ……」

 そんな私に、糖蘭さんは後ろから声をかけた。

「夜子、奥にまだたくさん魚がいるから、そっちも観に行こうよ」

「あっ、すいません!」

 糖蘭さんは優しく笑った。

「ふふふ、今日はいっぱい楽しもう」

「はい!」

 私たちは歩き出した。



 綺麗な魚たちを見ながら、まっすぐと経路通りに進んだ私たちは、深海魚のコーナーにやってきた。

 他のコーナーと比べて薄暗く、水槽がぼんやりと青く光っている。

 私は、その水槽の中にいる深海魚を眺めた。変な顔をしていて珍しいが、それよりも気になるものがあった。

 それは、さきほどから私の肩にくっついて離れない糖蘭さんだった。

「急にどうしたんですか?」

 私は怪訝に言った。

 糖蘭さんは弱々しく答えた。

「……ここって暗いしさぁ、なんか出てきそうだなって」

「暗いって言ったって、足元はちゃんと見えますし、水族館なので何も出てきませんよ」

「いや、そこのカニとか、めっちゃ足長くて不気味だと思わない?」

 糖蘭さんが指を刺した水槽には、足がとても長いカニがいた。しかも何匹もいて、互いに重なり合うように密集していた。たしかに、よく見ればキモいかもしれない。

 私は言う。

「暗いところが苦手なら、早く別の場所に行きましょうか」

「いや、苦手っていうかなんていうか……」

 糖蘭さんがゴニョゴニョとしていると、突然、目の前に1人の少女が現れた。

「うわあああああ!出たあああああ!!!」

 糖蘭さんは絶叫して、私の後ろにサッと隠れる。しかし、彼女の方が私より身長が高いので、全く隠れられていないと思う。

「ちょっと糖蘭さん!?」

 私と糖蘭さんがゴタゴタしている中、少女は真顔で単調に言った。

「ここまで驚かれるのは以外」

 2つのシニヨンにした黒髪、唐辛子のように真っ赤な瞳、そして、その瞳と同じく赤いチャイナ服。

 私は、彼女のその姿に見覚えがあった。

「あなたってもしかして……」

 糖蘭さんは、後ろから私に聞く。

「夜子、もしかして知り合い?」

「知り合いっていうか……もしかしたら、この間行った中華料理屋さんにいた人かもって」

 私の言葉に、少女は答えた。

「いかにも、私は茗龍の看板娘。その名は酒夜」

 少女もとい酒夜さんはそう言うと、真顔のままピースをした。そして続ける。

「私も君らのこと覚えてる。うちの激辛麻婆豆腐を食べた4人組でしょ」

「その通りです」

 私は答えた。正確には、食べたと言うより食べさせられたという方が正しいかもしれないが。

「あれを食べて無事だった人は初めてだ。他の人は全員、全身が燃えて死んでいった」

「えっ、さすがにそれは……?」

「嘘。盛り過ぎた。けど、君らの中にいた、あのツノの人には本当に驚いた。カプサイシン受容体を故郷に置いてきたのかってくらい」

 酒夜さんが言うのは、柚先社長のことだろう。

「まあ、あの人は色々常識外れだからね」

 糖蘭さんは、私の後ろから出てきて言った。

「話は変わるが、私は、にいやと一緒にここに来たわけだが、どうやらはぐれてしまったようだ。君らは出会わなかった?赤髪でツノが生えてるんだけど」

「残念だけど、知らないね……夜子は心当たりある?」

「いえ、私も知らないです」

「そっか。まあ、ゆっくり探すとするかのう。それじゃあ楽しい水族館ライフを」

 酒夜さんは、手でハートマークを作りながらそう言うと、背を向けて去って行った。


 *


 それから私と糖蘭さんは、館内を隅々まで見て回った。

 熱帯魚にイルカにアザラシにペンギンに……そのどれもが、私の目には物珍しく見えた。

 昼食は館内のレストランでとった。

 意外にもメニューに種類があったが、糖蘭さんは真っ先にパフェを頼もうとしたので、私は彼女に辟易した。


 

 腹を満たした私たちは、とても大きな水槽を眺めていた。

 常浜水族館で1番大きいこの水槽には、数匹のジンベエザメがいる。それは、この水槽内にいる他の魚を遥かに超える大きさで、水中をゆっくりと巡回している。

 糖蘭さんは水色のガラケーで、その様子をパシャパシャ撮っていた。

 私は彼女に話しかける。

「そのガラケーって、画質良いんですか?」

「実はそこそこいいよ。ほら、こんなにきれいな写真が撮れた」

 糖蘭さんは自慢げにそう言いながら、見切れたジンベエザメが映った画面を見せてくれた。

 ガラケーの小さい画面では、画質の良いも悪いもあまり分からなかった。

 しかし不意に、糖蘭さんのガラケーに付いている、2つの勾玉に目が留まった。若草色と青みのかかった白色の勾玉だ。

 私は、これらの勾玉を触った時に感じた、不思議な感覚を思い出した。

「そういえば糖蘭さん」

「どうしたの?」

「その勾玉のこと……教えてはくれませんか?」

 私はおそるおそる聞いた。

 糖蘭さんは少し考えてから言った。

「……そうだね。せっかくの機会だし、話そうか。別に、秘密にしてるわけではないからね」

 糖蘭さんはガラケーをパタンと閉じた。そして話し始めた。

「結論を言うと、この勾玉はね、遺石に似せて作られてるんだ」

「遺石に似せて作られた……?どういうことですか?」

「僕ら人間は、他の生き物とは違って、死んだらその肉体が、宝石のようにきれいな石――つまり遺石になっちゃうっていうのは、夜子も知ってるよね」

「はい」

「この勾玉は、その遺石の組成にできるだけ近づけて作った、模造品ってわけだ。だから、あの時、夜子は霊感で何か感じ取ったのかもしれないね」

「そうですか……」

 糖蘭さんはそう言ったが、模造品だからといって得体の知れない何かを感じることなどあるのだろうか。

 私はそこに引っかかった。

 なので、私は言った。

「私には、それは模造品には見えないです」

 糖蘭さんは、一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに元の様子に戻った。

「そんなことはないよ」

「そうなんですか?」

 私は、糖蘭さんの言葉に納得できなかった。

 糖蘭さんは言う。

「この勾玉は、イレギュラー事件が起こってから1週間も経たない頃に、柚先先輩から貰ったんだ。そのとき柚先先輩は、この勾玉を、『冬兎と蓮水姉の遺石だ』って言ったんだ」

「誰ですか?その、冬兎さんと蓮水さんっていう人は」

「イレギュラー事件の後に、HALFを去った3人のメンバーのうちの2人だよ」

「え……じゃあやっぱり――」

「いや、冬兎社長と蓮水姉は生きているんだ」

 糖蘭さんは、私の声に被せるように言った。

「きっと今も、レユアンのどこかで生きている。それは紛れもない事実なんだよ」

 彼女の声はわずかに震えている。

「けど、柚先社長が言ったことと矛盾してますよ?」

「当時の柚先先輩は、イレギュラーとの戦いで気が滅入ってたから、あの2人が死んだと勘違いしてたんだ。僕の方も、そんな柚先先輩の言うことを頭ごなしに否定しちゃったから、余計にね……」

「それで柚先社長は、冬兎さんと蓮水さんの遺石に似せた勾玉を本物だと言って渡して、お2人が亡くなったということを、糖蘭さんに分かってもらいたかった、そういうことですか?」

「多分、そう」

 糖蘭さんはそう言ったが、やはり彼女の話に完全に納得することはできなかった。

 しかし、柚先社長の言い分より糖蘭さんの言い分を信じたかった。

 もし柚先社長の言葉が本当だとすれば、HALFで死人が出たことになる。私は、そうであってほしくなかった。

 私がしばらく何も言い出せないでいると、糖蘭さんは謝った。

「ごめん、暗い気分にさせちゃったね」

「……とんでもないです!最初に始めたのは私の方ですし……私は、糖蘭さんのお話を聞けて満足ですよ」

「そっか。それならいいんだけど」

 目の前の水槽の中を泳ぐジンベエザメは、優しそうな目でこちらを見ているようだった。

 ふと、横を向くと、見たことのある姿が少し遠くにいることに気づいた。酒夜さんだった。

 私は彼女を指して、糖蘭さんに言った。

「あれ、酒夜さんですよね」

「本当だ。まだ、お兄さんは見つかってないのかな」

 私たちがそう話していると、酒夜さんはこちらに気づき、近づいてきた。そして、真顔でピースをした。

 彼女は言った。

「あ、また出会ったな」

 私は酒夜さんに聞いた。

「お兄さん、まだ見つかってないんですか?」

「いや、あの後すぐに見つかった。けど、目を話した隙にどこかに行った。やれやれだぜ」

 酒夜さんはそう言いながら、肩をすくめた。

「電話は繋がらないんですか?」

「にいや、スマホ持ち歩かない」

 すると、糖蘭さんは思いついたように言った。

「それなら、お兄さん探しを手伝おうか」

 突然のことに私は驚いた。だが、糖蘭さんは困っている人を助ける主義なので、この提案は何も不思議ではなかった。

「たしかに、1人より3人の方がいいですもんね!」

 私は糖蘭さんの提案に賛成した。

 酒夜さんは言う。

「それはありがたい」

「それじゃあ早速探しましょうか」

 私たちは、私と酒夜さん、糖蘭さんの二手に分かれて、酒夜さんのお兄さんの捜索を始めた。


 *

 

 そして、数十分が経った。

 私と酒夜さんは、館内をぐるっと一周したものの、なんの成果も挙げられず、再び1番大きな水槽の前に戻ってきた。

 私は水槽を眺めながら言った。

「なかなか見つからないですね。館内放送に頼ってみますか」

「やだ」

 酒夜さんは、私の提案を即座に蹴った。

「そうですか……」

 まあ、いい歳で迷子の放送を流されるのに抵抗があるのはわかる。なので、私は何も言わないことにした。

 しばらくすると突然、私のガラケーが唸った。糖蘭さんからの電話のようだ。

 私はそれに出た。

「はいもしもし」

『やっと見つかったよ。ペンギンコーナーの近くで出会った』

「本当ですか!?」

 私は酒夜さんに向けて言った。

「お兄さん、見つかったみたいですよ!」

「よかった、ありがとう。それじゃあ向かおうか」

 酒夜さんが動き出そうとすると、糖蘭さんは電話越しに制止した。

『2人はそこで待ってて。僕らの方が行くから』

「え、わかりました」

 向こうに動いてもらうのは悪いとは思いながらも、私は電話を切った。



 しばらく待っていると、糖蘭さんと、赤髪をポニーテールにして、白いチャイナ服をまとった青年が現れた。

 酒夜さんは、彼らに気づいた。

「あ、にいや」

「酒夜、探したよ」

 青年もとい酒夜さんのお兄さんは、無表情でそう言った。その様子は、酒夜さんにそっくりだった。

 そして彼は、私と糖蘭さんに向けて言った。

「ありがとうございます。酒夜、方向音痴だから、すぐに迷子になるんです」

「にいやがどこかに行くのが悪い」

「いや、悪いのは酒夜」

 糖蘭さんは、2人を静止しながら言う。

「まあまあ。これくらい、なんてことないよ。また何かあればいつでも言って」

「ありがとね。にいや、それじゃあ行こう」

「酒夜。そっちじゃない」

「てへっ」

 2人は、なんだかんだで仲が良さそうに、やりとりをしながら去って行った。

 私たちは、そんな酒夜さんたちを見届けた。

 そして、私は糖蘭さんに切り出す。

「この後ってどうします?一通り回っちゃいましたけど」

「そろそろ潮時かなぁ。あ、そう言えば、入り口の近くにお土産ショップがなかったっけ」

「あったと思いますよ」

「それなら、何か買って帰ろうか」

 私は彼女の提案に賛成した。

「いいですね、そうしましょう!」



 私たちは、お土産ショップに来た。

 商品棚には、魚のキーホルダーやペンギンのぬいぐるみなど、かわいいものがたくさん並んでいた。

 私は、ぬいぐるみの棚を眺めた。

 手のひらサイズのものから、どうやって持って帰るのか考えないといけないサイズのものまで、いろんな種類のぬいぐるみがあった。

 少しすると、糖蘭さんが何かを持ってきた。

「ねえ、これとかどう?」

 彼女が持ってきたのは、全長2メートルはありそうな、ジンベエザメのぬいぐるみだった。

 私はそれに呆然とした。

「ちょっと持って帰るの大変じゃないですか?」

「たしかに……買うならもうちょっとコンパクトな方がいいね」

 糖蘭さんはそう言うと、少し残念そうにしながら、クソデカぬいぐるみを元の場所へ返した。

 そして、彼女は再び提案した。

「それじゃあさ、お揃いのキーホルダーとかは、どうかな?」

「お揃い……ですか?」

「うん。僕ら、これからHALFで一緒に戦っていかないとだから、なんて言うんだろう……結束を固める的な?」

 私はその提案を受けて、嬉しく思った。

「いいですね!そうしましょう!」

「やったあ」

「どんなのにしましょうか」

「夜子はどういうのが好き?」

 私たちは、ぐるっと商品を見て回る。

 その中で、ふと目に止まったものがあった。

 私はそれを指差して言った。

「あ、これとかどうですか?」

 それは、イカのキーホルダーだった。デフォルメされていて、かわいい目がついている。

「いいね。それじゃあ、これを買おうか」

 糖蘭さんはそう言うと、イカのキーホルダーを手に取った。

 レジに持っていって会計を済ませた後、私はすぐにキーホルダーをガラケーにつけた。

 ピンクのガラケーからぶら下がるイカはかわいい。

「せっかくだし、僕もつけちゃおっと」

 そう言うと、糖蘭さんもガラケーを取り出してキーホルダーをつけた。

 私はそれを眺める。誰かとお揃いのものは初めてだし、その初めてのことを糖蘭さんとできるのは、素直に嬉しかった。


 *


 帰りのモノレールの車内は、やけに人が少なかった。そのおかげで座席に座ることができたのでよかったのだが。

 走るモノレールに揺られながら、私は、隣の座席に座っている糖蘭さんの方を見やった。

 車窓から差し込む日の光が、彼女の綺麗な白髪を照らす。

 私はそれが眩しくて、思わず目を細めた。

 すると、糖蘭さんがこちらを向いた。目が合う。

 私は咄嗟に別の方を向こうとしたが、彼女は突然口を開いた。

「ねえ夜子」

「何ですか?」

 私は、何を聞かれるのかヒヤヒヤしたが、杞憂だった。

 糖蘭さんは言った。

「どうだった?怖い夢のこと、ちょっとは大丈夫になった?」

「……はい。もう大丈夫そうです。夢のことなんて、すっかり忘れてしまってたくらいですから」

「それはよかった。夜子が元気になって何よりだよ」

 糖蘭さんは嬉しそうに笑った。

 その顔を見ると、こちらまで嬉しくなってくる。

 私は、ぽつりと呟いた。

「……実は私、誰かとお揃いのものを買うのって初めてだったんですよね。水族館に行くのも……いや、誰かとこうやって、どこかに遊びに行くのも、全部初めてだったんです」

「そう……」

 私は自虐的に笑った。

「あはは、おかしいですよね。十何年も生きてるのに」

「何も、おかしくはないんじゃない?」

 糖蘭さんは、そう言った。

「そうですかね?」

「それより、初めてのことをやる相手が僕ばっかりでよかった?」

「別に何の問題もないですよ?……今の私にとっては、糖蘭さんが1番大切な人ですから」

「ふーん、そうなんだ」

「あ……」

 言ってしまった後に、口が滑ったことに気づいた。出会って2週間も経たないような人に言うには、あまりにも重たすぎる発言だった。

「あ、えっと、……」

 私はなんとか弁明しようとした。しかし、糖蘭さんは笑って言った。

「ありがとね。夜子の1番をくれて」

 意外な言葉を返されて、私は少し戸惑った。てっきり、笑い飛ばされるか拒絶されるかと思っていたからだ。

 しかし糖蘭さんは、私の言葉を受け止めてくれた。

「……やっぱり糖蘭さんって優しいですね」

「そう言ってくれて嬉しいよ」

 私はどこか気恥ずかしい感覚を覚えて、話題を変えた。

「あ、けど……柚先社長はあなたのことを心配してましたよ」

「……そうなの?」

「はい。糖蘭さんは一度スイッチが入ると壊れるまで止まらないから心配だって――この間、柚先社長がそう言ってたんです」

「そうなんだ……」

 糖蘭は足元に目を落とした。そして、ぽつりと呟いた。

「僕は単純に、困っている人に手を差し伸べて、恩送りをしたいだけなんだけどね」

「恩返しじゃなくて?」

 私は彼女に聞いた。

 彼女は目をあげて言う。

「そうだよ。僕には命の恩人がいるんだ。けど、その人とはレユアンに来る前に出会ったから、顔も名前も何も覚えてないけどね」

「仕方ないですよ、レユアンに来る前のことなんて、ほとんど誰も覚えてないですし」

「それはそう。今の僕が、命の恩人の存在自体を覚えてることすら、だいぶレアケースだしね」

 糖蘭さんは続けた。

「存在を覚えてる以上、命の恩人に恩返しをしたいんだ。けど、できないことは分かってるから、恩返しの代わりに、周りの困っている人たちを助けて恩送りをする。そうしようって決めたんだ」

「それじゃあ、今日の酒夜さんのお兄さんを探したのも、愛神先輩のためにHALFに入ったのも……私を拾ってくれたのも、全部恩送りってことですか」

「そういうこと」

「そうですか……」


 *

 

 私と糖蘭さんはモノレールを下車し、アパートまでの道を2人で歩いた。

 午後の太陽は暖かくて、とても心地が良い。

 糖蘭さんは、歩きながら呟いた。

「そういえば、まだ3時のおやつ、食べてないね」

「たしかにそうでしたね。何か買って帰ります?」

「いや、たしか冷蔵庫にプリンがあったはず……」

「それじゃあ、プリンを――」

 突如、私は何か嫌な感覚を覚えて立ち止まった。

「っ!?」

 そして、異様な気配をまとった「何か」が近くにいることを感じ取った。目には見えないが、たしかにそこに存在している。

 その「何か」は少しずつ私たちの方へ近づいて来る。

「夜子?どうかしたの?」

 糖蘭さんは私の様子に気づいて、不思議そうに私の方を振り返った。

 彼女が気づいていないということは、この「何か」は霊的なものか。しかし、それにしては、あまりにも禍々しすぎる。

 そうやって考えていると突然、今朝の不吉な夢がフラッシュバックした。

 真っ赤な空、壊れた街、3人の死体。

 それが脳内に溢れ出して、心臓がドクンと跳ね上がった。

 そして次の瞬間、正面から、紫色のものすごい威力のビームが迫ってくるのに気づいた。

「糖蘭さん!」

「さがって!」

 私の声でビームに気づいた糖蘭さんは、素早くバリアを展開した。

 ビームはバリアに着弾した。

「っ――!」

 糖蘭さんは必死に抵抗する。

 エネルギーがぶつかりあって、バリバリと音を立てながら、火花が飛び散る。

 私たちは少しずつ後ろに押される。

 足元のアスファルトが割れる。

「っ……ダメだ、持たない!」

 糖蘭さんがそう言うと突然、バキッと何かが割れる音がした。それは、バリアにヒビが入る音だった。

 ヒビはどんどん大きくなって、バリアから小さなカケラがこぼれ落ちる。

 こんなものすごいエネルギーのビームが直撃すれば、私はおろか、糖蘭さんでさえ怪我では済まないだろう。

 私は、心の中で祈った。しかし、それは何の役にも立たなかった。

「ごめん!」

 突然、糖蘭さんはそう言った。そして、こちらを向いて私を庇った瞬間、バリアが砕けた。

 ビームが目の前に迫る。

 私たち、死ぬんだ――

 

 私は、漠然とそう考えながらも、どうすることもできず、彼女の服を掴んだ。




最新記事

すべて表示
bottom of page