第13話、青天の霹靂
- 6月6日
- 読了時間: 20分
私と柚先社長は、朝から2人だけで事務所の会議室にいた。
まだ東の方にある日が、窓からこの部屋に差し込んでくる。
今日も修行をしに来たのだが……。
まだ全員揃ってないので、ここで待っているのだ。
しかし、特にやることもないので、なんとなくガラケーをパカパカしてみる。
一方、柚先社長はノートパソコンに向かって、真面目そうな顔をしていた。
何をしているかは知らないが、きっと大事なことだ。
しばらくその様子を眺めていると、彼女は突然言い出した。
「雨くんがHALFに来てから早11日。俺たち、インサニティ退治してないね」
私は、ガラケーの蓋にかけた指を止める。
「……そうですね」
インサニティは、毎日出てくるようなものではないので、あまり気にしていなかった。
「あっ、でも……常浜では出てましたね。インサニティ」
「常浜?」
柚先社長は顔を上げた。
「夜ちゃん。そのインサニティ、倒したの?」
彼女は少し焦っている様子だった。
「え、いや……何もしてません」
「そっか……」
「……?」
困惑する私をよそに、柚先社長は納得したように頷く。
「いや、それでいいよ。あそこは、俺たちが動かなくても大丈夫な場所だから」
ふと思い出す。
『――常浜には、厄介な異能者集団がいる』
優灯さんはそう言っていた。
「社長は知ってるんですか」
「……常浜にも、俺たちみたいなのがいるって?」
柚先社長は、私の言おうとしたことを先読みして、言った。
私は頷く。
「もちろん知ってるよ。俺は社長だから」
あまり理由になっていない気がするが、柚先社長はいつもの調子でそう言った。
「じゃあ、知らないのは私だけだったんですね」
「まあ、よっぽどの用事がない限り、常浜なんて行かないでしょ」
「それは、まあ……そうですけど」
その時だった。
ガラガラと窓が開いたかと思うと、外から愛神先輩が身を乗り出してきた。
「2人とも!修行するよ!」
「え、あ、はい!」
突然、しかも予想外の所から現れた愛神先輩に驚きつつ、私は急いで席を立つ。
しかし柚先社長は、その場で手をひらひらしながら言う。
「俺はパスで。君たちで楽しんできて」
「ちょ、社長もちょっとくらいはやりなよ。腕鈍るよ」
「ごめんごめん。社長は仕事が多くてね」
「はあ……全くあんたって人は。……夜子ちゃん、行くよ」
愛神先輩は不満げにそう言った瞬間、窓のヘリから手を離して、下に落ちていった。
私は咄嗟に窓を覗き込む。
地面に着地した愛神先輩が、こちらを見上げて手を振っている。
「夜子ちゃーん!早くー!」
どうやら彼女にとっては、この部屋が2階だということは、関係ないようだ。
「今行きまーす!」
私はそう言って、会議室を出る。
その時、柚先社長のノートパソコンの画面が視界に入った。
「――」
私はそれに絶句した。
彼女は、仕事のフリをして、ヘルメットの通販ページを見ていたのだ。
ノーヘルでバイクに乗る彼女に対して、『ツノ対応のやつ買いましょうよ』と。
そんなことを言った記憶はある。
……が、仕事するふりをしてまで見るものじゃないだろうと。
この人は何を考えてるのか。
まあ、彼女がヘルメットを被る気になったのならそれでいいか……と勝手に納得した私は、何も見ていないフリをして、その場を去った。
段ボールが散乱する廊下を通り、階段を降りて、玄関へ向かう。
倉庫の前を通った時、ドアが開いていることに気がついた。
「……?」
気になって、立ち止まる。
誰か入ったのだろうか。
一応、倉庫内の様子を確認する。
誰もいない。
相変わらずこの部屋は、足の踏み場もないくらいのアーティファクトに占領されている。
しかし、窓が開きっぱなしになっていた。
きっと誰が閉め忘れたのだろう。
私は倉庫の窓を閉めてから、愛神先輩の元へ向かった。
外に出ると、雨筆さんも来ていた。
私と愛神先輩と雨筆さん。
ここ最近、よく修行に来るメンバーだ。
最初は、徹底的に雨筆さんの基礎体力をつけようとしていた愛神先輩だったが、その計画は思っていたより順調なようだった。
なにせ、私がHALFに来た当初、ぜえぜえ言っていた事務所〜神宮間の長距離走を、雨筆さんは割とすんなりとクリアしてしまったのだ。
とはいえ愛神先輩曰く、全ての基礎は最強に通ずるらしい。
今日も今日とて私たちは、地味な修行を繰り返すのだった――。
散々体を動かして疲れた私は、地面に座り込んで休憩していた。
太陽に照らされる灰色のコンクリートは、少し暖かい。
眼前に広がるコバルトブルーの海は、今日も綺麗だ。
一方、愛神先輩と雨筆さんは、別の修行を始めていた。
愛神先輩は、そこら辺にあった棒を剣のように構える。
雨筆さんも愛神先輩を真似する。
「こ、こう?」
「もうちょっと脇閉めて――あ、そうそう」
「その構え方って、何か意味あるんですか?」
私は愛神先輩に聞いた。
彼女が光の剣を出した時にする構え方。
剣のことは何もわからないが、少し変わったポーズだと思う。
愛神先輩は動きながら答える。
「異能で作った剣で、効率的に相手を狩る……昔、教わった方法だよ」
「なるほど……?たしかに、こっちの方が、動きにムダがないかも」
雨筆さんは納得しながら、棒を振る。
「夜子ちゃんもやってみる?覚えとくと便利だよ」
「私は剣使いませんし……」
「まあ、あんたは遠距離の方がいいか……。あ、雨筆くん、その動きはもうちょっと腕曲げて?――うん、そんな感じ」
しばらく2人の様子を傍観していると、後ろから声をかけられた。
「酒夜バーイーツでーす」
「え?」
振り返ると、そこには酒夜さんがいた。
サンバイザーをつけて、大きめの保冷バッグを持っている。
私は立ち上がった。
「今日も来てくれたんですね」
「ああ。みんな、修行頑張ってるから」
彼女はそう言うと、真顔のままでピースして見せた。
「お店は大丈夫なんですか?」
「このくらい、どうってことはない」
彼女はそう答えながら、保冷バッグからペットボトルを取り出す。
「あっ、酒夜ちゃん今日も来てくれたんだ!」
愛神先輩と雨筆さんは、修行をやめてこちらに来た。
「お茶持ってきた。飲んでくれ」
「ありがとうございます」
私たちは、酒夜さんからペットボトルを受け取った。
キンキンに冷えている。
雨筆さんは、私の隣に座り込み、お茶を飲む。
「疲れたー」
そう言った彼女の額は、わずかに汗ばんでいる。
「最近ちょっと暑くなってきましたね」
もう6月も後半だ。
愛神先輩は、空を見上げながら言う。
「もうちょっとで夏だねぇ」
「そうだ!せっかくだし、みんなで海水浴したいな」
雨筆さんは、そう提案した。
私は賛成する。
「いいですね」
「目の前に海あるけど」
酒夜さんは、すぐそこに見えるコバルトブルーの海を指した。
愛神先輩は海の方を見やって言う。
「ここの海は、流れが速いし急に深くなるし、ちょっと危ないかも」
「そうか。だから、誰もここでは泳いでないんだな」
「うん。さすがの私でも、死ぬかと思ったから」
私は、恐る恐る聞く。
「……もしかして、入ったことあるんですか?」
「まあ、多少はね?……あ、別に修行のためとかじゃないよ?れっきとした仕事のためなんだから」
愛神先輩はそう言うが、修行のためだと言って入ったことがあっても、不思議ではなかった。
「けど……今年の夏は行けたらいいね。海」
彼女はそう言うと水を飲み、話題を変える。
「……そういや、糖蘭は今日もダメな感じ?」
「ああ、はい。一応朝起こしたんですけど……」
私は答えた。
糖蘭さんは、別に修行が面倒くさいから寝込みを決めている、というわけではなさそうだった。
起きてくれる時はすぐ起きてくれるし、今日みたいに、起きてくれない時はどうやってもダメだ。
「ほんと、あいつは仕方ないやつだね」
愛神先輩は半ば諦めたように言った。
酒夜さんも聞く。
「……蛍ぴっぴの方はどうなんだ?あいつもあまり来てないだろう」
「蛍くんは、バイトが忙しいんだって。……ちょっとめんどくさいとも言ってたけど」
雨筆さんはそう答えた。
蛍東さんのバイトと言われると、あのメイドカフェでの彼女の姿を思い出す。
愛神先輩は残念そうにため息をつく。
「はあ……力は強いわ動きのキレも良いわで、もうちょっと持久力鍛えたら、化けると思うんだけどなぁ……」
「蛍くん、練習とか努力とか、あんまり得意じゃないっぽいから……」
「勿体無い。才能って、いくらあったとしても、磨かないとすぐ腐っちゃうのに」
日頃から努力している愛神先輩が言うと、説得力があった。
彼女はおもむろに、酒夜さんの方を向く。
「その点、酒夜ちゃんはよくやってるよね」
「私か?」
酒夜さんは、意外といった様子で聞き返す。
「あんた、今日に限らずよく来てくれるし、差し入れだってしてくれるじゃん?」
「それはそうだが――」
最初は、私と修行をしていた酒夜さんだったが、気が付けば私以外がいる時にも、顔を出していた。
そして、いつの間にか愛神先輩や雨筆さんとも仲を深めていたし、たまにおやつも持って来てくれる。
酒夜さんは指をもじもじさせる。
「けど私、HALFじゃないし、異能者でもないし……」
「私はね、強さを求める人のことは、全力で応援する。能力とか所属とかは関係なしにね」
愛神先輩のその言葉に、酒夜さんは目を大きくした。
「愛リッシュ先輩……」
「……何その呼び方」
「私よりはマシだと思いますよ……」
効果があるのかはよくわからないが、一応フォローを入れておく。
「まあ、修行に来ないからって責めるつもりはないんだけどさ……もうちょっと、向上心は持ってほしいよねぇ」
愛神先輩は、そうボヤいた。
突然、電話がかかってきた。
糖蘭さんからだ。
私はガラケーを開く。
「どうしました?」
『夜子!ちょっと助けて!』
電話越しの糖蘭さんの声は、かなり切羽詰まっていた。
「何があったんですか!?」
『後で説明する!とりあえず帰ってきて!』
「わ、わかりました!」
「どうしたの?」
愛神先輩は、怪訝そうに聞いてくる。
「なんか糖蘭さんが……とりあえず、行ってきますね!」
「気をつけて」
私は説明する暇もなく、飲みかけのペットボトルを置いて、走り出した。
急いで帰宅して、玄関のドアを開ける。
「はあ……はあ……」
息を整える間もなく、焦げ臭さを感じた。
嫌な予感がする。
靴を脱いで上がる。
キッチンの方の様子を見れば、コンロの前で半泣きの糖蘭さんが立っていた。
「夜子……」
「っ!?」
彼女が持っているフライパンからは、黒い煙がもくもくと立ち上がる。
私は彼女のところへ飛んでいき、咄嗟にコンロの火を切った。
とりあえず一息つく。
「……ふぅ」
「あ、ありがとう……」
糖蘭さんは、胸を撫で下ろした。
「……何があったんですか?」
恐る恐る聞くと、彼女は目を泳がせながら言う。
「料理の練習しようとしたら、失敗しちゃって……」
そう言えば、少し前から彼女は料理のことを言っていたような……。
目の前のフライパンには、真っ黒に焦げた料理の成れの果てが鎮座している。
一体何を作ろうとしたのか――。
「……私がいる時にすればいいのに」
「せっかくだし、夜子を驚かせたかったから」
糖蘭さんはそう言った。
案外子どもみたいな理由だった。
「まあ、別の意味で驚きましたけどね」
「やっぱ、慣れないことはするものじゃないね」
「とりあえず後片付けしましょうか」
「これ、食べられるかな……」
彼女は、黒焦げの物体を眺める。
「やめといた方がいいんじゃないですか」
私はそう言いながら、黒い物体をとりあえず皿に移してみる。
箸で掴める程度の硬さがあるし、ポロポロと黒い粉を吹いているしで、とても食べられそうにはない。
一体どんな火力で焼けば、こんな惨状になるのか……。
皿の上の黒焦げを、どうしようかと2人で悩んでいると、またしても電話がかかってきた。
出てみると、酒夜さんだった。
『夜ヌンティウス、大丈夫か?』
「はい……糖蘭さん、料理の練習に失敗しちゃったらしくて。そこまで大したことじゃなかったですよ」
『そうか。まあ、大事じゃなくてよかっ――』
「うえええ……げほっげほっ」
酒夜さんの言葉を遮るように、糖蘭さんは私の隣で咳き込んだ。
「次はどうしたんですか!?」
「めっちゃ苦い……」
どうやら彼女は、焦げたものを食べてしまったらしい。
顔を歪めながら、近くにあった一口サイズのチョコを口に入れる。
「やめといた方がいいって言ったのに……」
私は呆れた。
『そっちの様子はわからないが、なかなかとんでもないものができたようだな』
「そうですね……黒焦げです」
私と酒夜さんがそう話していると――。
「夜子もチョコいる?」
糖蘭さんは、私の返事も待たずに、チョコを口元に近づけてきた。
「……ん」
仕方ないので、私は口を開けてチョコを受け入れた。
酒夜さんは少し間を置いてから、言い出した。
『……突然だが、私に提案がある。明日、空いてるか?』
「提案……?」
私は、彼女の言葉に耳を傾けた。
*
次の日。
私と糖蘭さんは、朝から茗龍に来ていた。
「やあ、夜ヌンティウスに糖えもん」
店内に入ると早速、酒夜さんが出迎えてくれた。
彼女は相変わらず、黒髪を2つのシニヨンにして、赤いチャイナ服を着ている。
今日は定休日らしく、私たち以外に誰もいない。
糖蘭さんが、確認するように切り出す。
「酒夜の提案っていうのは――」
「昨日、電話でも話した通り……糖えもんの料理練習を、私たちが手伝う」
酒夜さんは、自信ありげにそう言った。
「本当によかったの?ここ貸してもらって」
「ああ。やはり、その手のプロの元で練習するのが手っ取り早いと思うんだ」
心配する糖蘭さんをよそに、酒夜さんはピースする。
すると、奥から酒夜さんのお兄さんが出てきた。
「……いつも、うちの妹がすみません」
彼は申し訳なさそうに謝る。
「こちらこそ、急に来て大丈夫でしたか?」
「酒夜のことだから、慣れてます」
「にいやは私のこと、よくわかってるから」
酒夜さんはそう言って胸を張る。
この兄妹2人が並んでいると、髪色や目元は全然違うのに、本当に似ていると感じる。
やはり、表情が乏しいとか、雰囲気が似てるとか……そういうところだろうか。
お兄さんはこちらに向き直り、聞いてくる。
「それで、何作るつもり?」
糖蘭さんより先に、酒夜さんが答える。
「オムライス。夜ヌンティウスの好物らしい」
「材料は?」
「すでに用意済みだ。にいやはただ、糖えもんに料理を教えてくれたらいい」
「……わかった。それじゃあ、準備して」
お兄さんは、そそくさとキッチンに入った。
糖蘭さんは、エプロンをつけてキッチンに立つ。
今日に限って、彼女はやたらと白い服を着ているので、汚れないか心配になる。
しかし、彼女は随分と張り切っている様子だった。
私は特に何も言わず、カウンター越しに見守ることにした。
酒夜さんも、私の右隣にいる。
「玉ねぎは小さめに切ります。こんな感じ」
お兄さんは、糖蘭さんの隣で手本を見せる。
さすがはプロだ。手際の良さが違う。
「じゃあ、やってみて」
「うん」
早速、糖蘭さんは包丁を持つ。
その動きは、結構ぎこちない。
見ているこっちがハラハラしてくる。
私は固唾を飲んで見守る。
彼女の様子を見ていると、普段見せない初々しい部分を感じるし、それが愛おしいとさえ思う。
お兄さんは、横から静かにアドバイスする。
「もうちょっと小さい方がいい」
「え、これ以上は無理だよー」
そう言いながら、慣れない手つきでゆっくりと切っていく。
私より頭1つ大きい糖蘭さんは、お兄さんと並ぶと小さく見える。
どうせなら、私が隣に立ちたかった……。
一瞬だけ、そんなことを考えてしまった。
酒夜さんは、カウンター越しに聞く。
「にいや、何か手伝うことはあるか?」
「特にない」
「そうか。じゃあ夜ヌンティウス、お茶でも飲んで待っていよう」
酒夜さんはそう提案すると、カウンターを離れた。
私は酒夜さんについて行く。
「ここにでも座っていてくれ」
彼女がそう言ったので、適当な席に座った。
キッチンからは、糖蘭さんとお兄さんの声が聞こえてくる。
窓際のパンダや金の豚の置き物を眺めていると、酒夜さんがやってきた。
彼女は、透明なガラスのティーポッドを、テーブルの上に置いた。
その中には、丸い草の塊のようなものが入っている。
お茶……なのは間違いないだろうが、見たことのないものだった。
「なんですか?これ」
私が顔を近づけて覗き込んでいると、草の塊は、徐々に花のように開き始めた。
酒夜さんは、私の正面に座る。
「裏社会で流行っているブツだ」
いかにも真面目そうな顔で、そう言った。
「まさか」
「嘘。普通のお茶だ。花茶って言うんだけど」
彼女が教えてくれた名前通り、草の塊は、幻想的で綺麗な花になって、ポッドの中に浮かんでいた。
「綺麗ですね」
「だろ」
酒夜さんは、お茶をガラスのカップに注いで渡してくれた。
「どうぞ」
「いただきます」
息を吹きかけて熱を冷まし、淡い色のお茶を口に運ぶ。
ジャスミンのみずみずしい香りが広がる。
「どうだ、おいしいだろう」
「はい」
思わず頬が緩む。
酒夜さんもお茶を飲んだ。
そして彼女は、思い出したように言い出す。
「異能者ってどうやってなるんだと思う?」
「え、異能者……?」
急なことで、私は返事に困った。
どうやったら異能者になれるか――。
そんなこと、考えたことがない。
異能者かどうかは、生まれつき決まっているものだし、どんな基準で決まるのかも知らない。
それが常識。
考え込む私の様子を察して、酒夜さんは謝る。
「……悪いな。変なことを聞いた」
「別に構いませんけど……急に、どうかしたんですか?」
「異能者だったらよかったのにって、最近よく思うからさ」
「そうですか……」
酒夜さんは、反応に困ることを言ってきた。
もし、彼女が異能者だったら……今より私たちは、仲良くなれていたかもしれない。
けど、彼女が異能者じゃなくて、良かったと思う。
今のままの方が――非異能者の方が、無駄に傷つくこともないし、ずっと生きやすいだろう。
彼女は続ける。
「インサニティ退治をしてるお前たちのこと、かっこいいって思ってる」
「それは……ありがとうございます」
「私にも力があれば、もっと色々できるのかなとも思う」
「……けど、異能者も色々デメリットありますよ?」
「そうだな。一応わかっているつもりではいる。普通の人が異能者をどう思ってるか、夜ヌンティウスがどんな苦労をしてきたか、とか。……それでも、ないものねだりしてしまうんだ」
どうやら、持つ者と持たない者の間には、どうしようもない認識の差があるらしい。
その事実を突きつけられるだけで、目の前のテーブルが大きくなってしまうような気がした。
……酒夜さんが悪いわけじゃない。
彼女はただ、純粋な憧れで言っている。いちいち気にしている私の方が、バカらしいくらいに。
私は呟く。
「もしもの話ですけど……もし酒夜さんが異能者になるなら、どんな異能を使いたいですか?」
「そうだな……」
酒夜さんは少し考えて、答えを出した。
「炎だ」
「炎……?」
「こう、炎をブワーってできたら、きっとかっこいいに違いない。おまけにガス代も浮くぞ」
「もしかして、それで料理でもするつもりですか?」
そうやって苦笑しつつも、心の中では、随分と解像度が低いと思った自分もいた。
「うわぁ!?」
突然、キッチンの方から、糖蘭さんの悲鳴が聞こえた。
何事かと急いで様子を見に行くと、フライパンを前にして、震えている糖蘭さんがいた。
「ケチャップめっちゃ跳ねてるよ!?」
お兄さんは淡々と言う。
「そういうもの。混ぜないと焦げます」
「糖蘭さん、頑張ってください!」
私が声援を飛ばすと、糖蘭さんは恐る恐るフライパンに手を伸ばして、具を混ぜる。
具に絡んだケチャップが、ぐつぐつと音を立て、たまにパチパチと飛んでくる
糖蘭さんなら、ケチャップが飛んできたくらいで火傷しないだろうと思ったが……。
こういうのは気分の問題だ。言わない方がいい。
糖蘭さんは、横にいるお兄さんに聞く。
「これ、どのくらいやるの?ご飯は?」
「ある程度水が飛んだら、ご飯入れます」
お兄さんはそう言いながら、炊飯器の白米を用意する。
「そろそろ?」
「んー……まだ」
「えー」
糖蘭さんは眉を曲げた。
四苦八苦しながらも、なんとか完成まで漕ぎ着いた。
「で、できた……」
私が席に着くと、糖蘭さんがオムライスを持ってきた。
目の前に置かれたそれは、できたてで、湯気が上がっている。
チキンライスの上に乗っている卵は、ところどころ破けているが……昨日の黒焦げ物体と比べると、その出来栄えの差は天と地ほどもある。
「いただきます」
一口食べる。
「どう……?」
糖蘭さんは、不安と期待が混じった声で、反応を窺う。
私は、ゆっくりと咀嚼してから、飲み込む。
「おいしい?」
「はい。それなりに」
「よかった……」
糖蘭さんは、私の反応に安堵した様子だった。
味に関しては申し分ない。玉ねぎは辛くないし、ケチャップもちょうどいい量だ。
ただ、具が少し大きいし、ご飯は混ぜすぎてベチャッとなっているし、卵は完全に火が通り切っている。
完璧とは言い難い。
それでも、糖蘭さんが頑張ったという事実は変わらない。
私にとったら、彼女の手料理が食べられるだけで嬉しい。
隣で様子を見ていたお兄さんが、腕を組んで言う。
「あとは、このクオリティを1人でも出せるか……」
「で、できるかなぁ……」
「それは糖えもんの努力次第だろう」
酒夜さんも横から言ってくる。
そうやって、糖蘭さんのオムライスのフィードバックをしていると、おもむろにお兄さんが立ち上がった。
「それじゃあ、あとはゆっくりしててください」
「どこか行くんですか?」
「ちょっと用事」
酒夜さんは納得したように言う。
「そういえば、そうだったな。いってらっしゃい」
お兄さんは、奥の方へ消えていった。
私は酒夜さんに聞く。
「お仕事ですか?」
「まあな。店を開けてなくても、やることはあるから」
「自営業って大変そうだよねぇ」
糖蘭さんはそう言いながら、私が食べかけているオムライスをつまみ食いする。
「私たち、忙しい時に来ちゃいましたか?」
「気にするな。私の方から呼んだんだから。ゆっくりしていけ」
「ありがとうね」
私たちは酒夜さんの言葉に甘えて、片付けが終わった後も、しばらく茗龍でゆっくりした。
*
――事件は突然起こった。
食器を片付けてのんびりしている最中、店の外から爆発音が聞こえてきたのだ。
「何だろう?」
糖蘭さんは異変を感じて、窓の方を見やる。
私は、ガラケーの画面を確認する。
「……インサニティが出たわけではないみたいですけど」
事故?それとも事件?
「ちょっと様子見てくる」
糖蘭さんはそう言って立ち上がる。
「私も行きます」
「別にいいよ」
糖蘭さんはそう言ったが、私は咄嗟に、彼女の服の裾を掴んだ。
自分でもよくわからなくて、誤魔化すように言う。
「いや……なんとなく、糖蘭さんだけに行かせるのはよくない気がして……」
糖蘭さんは少ししてから、首を縦に振った。
「……わかった。酒夜、ちょっと待っててね」
「ああ」
酒夜さんは頷く。
糖蘭さんと私は店を出て、爆発音がした方に向かった。
茗龍の周辺は、アジアンチックな建物が並んでいて、どこか懐かしい街並みだ。
普段なら心が落ち着くような場所なのに、今回は、そういうわけにはいかなかった。
少し歩いて角を曲がると、まず目に入ったのは――大破した建物だった。
その惨状は、爆発したというよりは、高温のエネルギーで焼かれたような、そんな状態だった。
地面に目を落とすと、足跡のような血痕がついている。
「これって……」
嫌な予感がする。
その時だった。
またしても爆発音がしたかと思うと、すぐ真横の建物が爆散した。
「っ!?」
爆風とともに、瓦礫が飛んでくる。
糖蘭さんは、咄嗟に私を庇った。
僅かな視界の中、ほんの一瞬だけだが、瓦礫の中に混ざる結晶のカケラが見えた。
明るいピンク色。
どこか見覚えのあるような……。
考える暇もないうちに、今度は愛神先輩が吹き飛ばされて転がってきた。
彼女は、よろめきながら立ち上がる。
しかし、色んな箇所にあるひび割れと刺し傷から、どくどくと血が流れて、足元に血溜まりができる。
「愛神!?」
「先輩!」
愛神先輩は顔を上げると、驚いた表情を見せる。
「……なんであんたらが!?」
私は状況の説明を求める。
「一体何が起こ――」
「説明は後!逃げろ!」
愛神先輩は鬼気迫る様子で叫ぶように言う。
その瞬間だった。
「あ"っ」
オレンジ色に淡く光る刃が、真っ赤な飛散物とともに愛神先輩の腹から生えてくる。
……いや、生えてきたんじゃない。後ろから突き刺さって、貫通したのだ。
「ごはっ……」
彼女は口からも吐血しながら、その場に崩れ落ちる。
「え……」
「愛神しっかり!」
糖蘭さんは、愛神先輩を起こそうとする。
しかし、ぐったりとして動かない。
私は愛神先輩の顔を覗き込む。
なんとか意識は繋いでいるようだが、普段なら輝いているはずの瞳の中の星は、今にも消えそうだ。
私が状況を飲み込めないうちに、事は進む。
今度は、崩壊した建物の方から、少年が1人、静かにこちらに近づいてきた。
冷たい琥珀色の瞳が、こちらを捉える。
「やっと会えたな、HALF諸君」
彼はそう言って、不敵な笑みを浮かべる。
その頭上に浮かぶ光輪は、傾き始めた日の光に照らされて輝いていた。


