第6話、インサニティを殴り飛ばした
- もやし 朝稲
- 3月18日
- 読了時間: 21分
私はベッドの上で目を覚ました。そして、天井を見つめた。見覚えのない白い天井だ。
部屋の窓から差し込んでくる朝日が眩しい。
私は上体を起こして、誰もいない部屋を見渡した。どうやら、ここはどこかの病室らしい。
「さっきのは……夢……?」
いや、夢にしてはやけに現実的だった。じゃあ、一体何なんだろう。頭が混乱してくる。
突然、ノックの音がしたかと思うと、扉が開いた。
現れたのは、看護師ではなく糖蘭さんだった。
「あっ、夜子……」
彼女は心底驚いた様子だった。
さっきの、糖蘭さんに首を絞められる光景がフラッシュバックする。
私の身体は恐怖で硬直した。
しかし、今、目の前にいる少女の瞳は普段通り、綺麗な金色だった。
彼女は嬉しそうにこちらに駆け寄ってくる。
「よかったぁ!やっと目覚ましてくれた。夜子、あれから3日間意識がなかったから……」
「……心配かけてごめんなさい」
「ううん。気にしないで」
私は糖蘭さんの声を聞いて安心した。あの白い空間での出来事は全て、悪い夢だった。私はそう確信した。
ふと、彼女の頭や腕に巻かれている包帯に気がついた。
「その包帯は……」
「ああ、まだ怪我したところが治ってなくて。けど、大したことないし、すぐ治るよ」
「それならよかったです。……けど、愛神先輩と柚先社長は大丈夫なんでしょうか?」
「あの2人もそこまで心配する必要はないよ。愛神はちょっと安静にしてればすぐに治りそうだし、柚先先輩は新しい腕が生えてきてるとか言ってたし」
「腕が、生える……!?」
私は衝撃を受けた。
「あの人、何でもアリな体質だからねぇ」
「ま、まあ、お2人が無事なら何よりです」
「それより、夜子は体調どう?」
糖蘭さんの問いに、私は自身の体を確認する。
「今のところは特に……怪我とかも一通り治ってますね」
「マジか。肋骨とか折れてたらしいけど、それも治っちゃった?」
「普段通りの感じですね」
「やっぱり若いと怪我の治りも早いもんだね」
「私たち、そんなに年の差ないですよね!?」
私は糖蘭さんの発言にツッコんだ。
「まあ、それはさておき、ちょうどプリン持ってきたんだけど、食べられる?」
糖蘭さんはそう言うと、手に持っていた袋からプリンを2つ取り出した。
私は頷く。
そして、そういえば水族館の帰りにプリンのことを喋っていたな、と思い出す。
「あれから、食べてなかったんですね」
「まあね。1人で先に食べちゃうより、2人で食べる方がいいでしょ」
甘いもの好きの糖蘭さんなので、すぐに食べてしまうのかと思ったが、案外そうでもないらしい。
糖蘭さんは、先ほどの発言に付け足した。
「ちなみにスプーンは忘れた」
「……直食いしろと」
「ごめんよ」
糖蘭さんは軽く謝りながら、プリンの蓋を開けて、私に差し出した。
「まあ、構いませんよ。糖蘭さんと食べられるなら何でもいいです」
「何それ嬉しいこと言ってくれるじゃん」
私と糖蘭さんは、プリンを直接啜った。あまり行儀は良くないが、これはこれでおいしい。
口の中に広がる甘さ。
久しぶりのようで、そうでもない、不思議な感覚がした。
「そうだ、ちょっと夜子に見てもらいたいものがあるんだけど……」
糖蘭さんはそう言うと、何やらICチップを取り出して、彼女の水色のガラケーに差し込んだ。
私はその様子を見ながら聞く。
「何ですか?それ」
「柚先先輩が、いつのまにかイレギュラー02との戦いを、ドローンで撮ってたらしいんだよね。で、これがそのデータ」
「全然気づかなかったんですけど」
「まあ、あの人は抜かりないからねぇ」
私たちがそう言っているうちに、ガラケーに映像が映った。私がイレギュラー02と戦っている様子だった。
小さい画面を2人で覗き込む。
糖蘭さんは不思議そうに聞いた
「夜子、なんか変な模様が出てすごく強くなったけど、何があったの?元々ポテンシャルが高いことはわかってたけど、予想以上だったから……」
「私にもわかりません。気づいたら手からビームが……」
画面の中の私は、イレギュラー02にトドメを刺そうとする。しかしビームを放った瞬間、気を失ったように倒れ込んだ。
ビームはイレギュラー02の真横を通り過ぎて、空の彼方へ飛んでいった。すると画面の端に、わずかに爆発のようなものが映った。
そしてすぐに、画面は砂嵐に飲み込まれた。
私は、目線を画面から糖蘭さんの方へ向けて言う。
「……肝心なところが映ってませんが」
「多分、ビームの衝撃派でカメラが逝っちゃったんだと思う」
「えっ!?」
私は焦った。
しかし糖蘭さんは、そこまで重く受け止めていないようだった。
「まあ、カメラの1つや2つ、問題ないでしょ。それより、イレギュラー02の行方の方が肝心だ」
「そ、そうですね。で、イレギュラー02はどうなったんですかね?」
「柚先先輩が言うには、まだレユアンのどこかに潜伏してる説が濃厚、だってさ」
「それってつまり、まだ倒せてないってことですよね」
「残念ながら」
「……ごめんなさい。私がちゃんとしてれば」
「別に誰も君を責めることはないよ。……愛神でも無理だったんだから」
糖蘭さんはそう言ってくれた。
しかし心の中では、イレギュラー02にあのビームが当たらなくてよかったと、そう思っていた。理由は自分でもわからない。もしあのとき、イレギュラー02を完全に倒せていたら、何かを失ってしまうような……本当にふんわりとした感覚だった。
*
それからは、身体に大した異常も見つからなかったので、すぐに退院することができた。こうやって、大怪我を負っても数日で治る体質は、異能者でよかったと思える数少ない点かもしれない。
そして、2日が過ぎた。
インサニティは現れないし、外で働いているわけでもないので、やることがない。
柚先社長からは、しばらくHALFは休みだというお達しが来た。
そういうわけで私と糖蘭さんは、家の中で退屈な時間を過ごしていた。
糖蘭さんは、リビングのソファで本を読んでいた。
私も、最初は彼女の隣で一緒に本を読んでいた。しかし、集中力の無さが災いして、割とすぐに飽きてしまった。
他にやることもなく、手持ち無沙汰に糖蘭さんの髪の毛を撫でてみる。
彼女の髪の毛は、真っ白で艶やかでサラサラしていて、ずっと触っていたいくらいだった。
彼女は何も言わずに本を読み続けるが、心地良さそうにしている。
しかし突然、彼女は言い出した。
「膝枕、しよっか」
「え?」
あまりにも唐突なことで戸惑う私をよそに、糖蘭さんは読んでいた本を机に置き、自身の膝を空けた。
「おいで」
「え???」
この人は一体何を考えているのだろうか。
私はそう思いつつも、吸い寄せられるように、糖蘭さんの太ももに頭を預けた。急に彼女との距離が近くなり、緊張する。
彼女の色白で細い太ももは、すべすべしていて意外と柔らかくて、いい匂いがする。
糖蘭さんは、私の頭を優しく撫でる。
彼女の細い指が、私の髪の間に入り込む。
彼女と目が合う。
その目は、我が子に愛を注ぐ母のようだった。
緊張が解ける。
私は、満ち足りたような幸せな気分になって、ついつい頬が緩む。
退屈な日々も案外悪くないかも、と感じた。
糖蘭さんが話しかける。
「夜子の方から甘えてくるなんて、ちょっと意外だったかも」
「甘……え……?」
「まあ、イレギュラー02との戦いで色々あったし、無理もないよね」
私は困惑した。別に、糖蘭さんに甘えるつもりは一切なかった。
もしかすると、なんとなく彼女の髪の毛を触ったことが、そういう風に受け取られてしまったのかもしれない。
「え、あの……」
「別に遠慮しなくていいんだよ?慣れてるから、こういうのは」
私は弁明しようとしたが、糖蘭さんの太ももと指の感触に飲み込まれて、もういいやとなってしまった。
そうしてしばらくの間、私は糖蘭さんのされるがままになった。
心地良くなって睡魔が顔を覗かせ始めた出した時だった。
突然、糖蘭さんのガラケーが鳴ったかと思うと、愛神先輩から電話がかかってきた。
糖蘭さんは私を膝の上に乗せたまま、電話に出た。
「もしもし愛神、どうしたの?」
『そっちは元気にやってるかなーって。夜子ちゃんの様子はどう?』
「こないだ目覚めてくれて、今はほとんどいつも通りって感じだよ」
『それはよかった。私も一安心だよ』
「けど、そっちに会いに行けなくてごめんね」
『いいよ、別に気にしないで』
「今度来ようか?夜子も一緒に」
『あー……それはありがたいんだけど……』
愛神先輩は歯切れが悪そうに言う。
『しばらくあんたらとは会いたくないかも……』
「え……」
急なことで、私は呆然とした。糖蘭さんの方を見るも、彼女も私と似たような状況だった。
『べ、別に、私は糖蘭のことも夜子ちゃんのことも好きだからねッ!?』
愛神先輩は言い訳のように、そう言った。
『とにかく、1人でいる時間が欲しいんだ。だから、ちょっと時間をくれるかな?』
私と糖蘭さんは、顔を見合わせる。
愛神先輩の事情は知らないが、私たちは彼女を受け入れるしかなかった。
糖蘭さんは、愛神先輩に言う。
「君が満足するまで、僕らは待つよ」
『ありがとね。あ、私がいなくても、修行はサボっちゃダメだよ。イレギュラー02はまだ倒せてないんだし、今は大丈夫でも、またすぐにインサニティは湧いてくるんだから』
「まあ、ほどほどにやっておくよ」
『それじゃあバイバイ』
「お大事に」
糖蘭さんは通話を切った。そして、不思議そうに首を傾げて私に聞く。
「愛神どうしちゃったんだろ?」
「イレギュラー02と戦って、色々思うところがあったんですかね……結局、本人に聞いてみないとわかんないですけど」
「そうだよねぇ」
「まあ、今は考えてても仕方ないですし、愛神先輩の言う通り、修行でもしましょうか」
私はそう言って起き上がった。
「もういいの?膝枕」
糖蘭さんはそう言いながら、自身の膝をポンポンする。
彼女の太ももは魅力的だったが、あまり迷惑をかけてもいけない。それに、何日もれ修行をサボれば身体が鈍ってしまう。
「はい。だから、一緒に修行しましょう」
「えー。僕はやだな。もっとダラダラしてたい」
「糖蘭さんが嫌なら、私1人で修行してきます。私には、まだできるようにならないといけないことが、たくさんありますから」
私はそう言って、ソファから立ち上がった。
しかし、糖蘭さんは私を行かせまいと、後ろから抱きついてきた。
「行かないでよー」
「っ!?」
私は糖蘭さんを振り解こうとするが、彼女はなかなか諦めない。
それどころか、ますます力を込めて私の胴を絞めてくる。
「痛いです離してください!」
彼女の力はあまりにも強くて、内臓が潰れるんじゃないかと心配になってくる。
私はついに、糖蘭さんに抵抗することを諦めた。そして、頭脳戦に持ち込んだ。
私はわざとらしく呟く。
「けど、残念だなー。せっかく修行のついでに期間限定のホワイトチョコのドーナツを買おうと思ってたのになー」
この言葉に、糖蘭さんの翼がピクッと反応したのを、私は見逃さなかった。
「糖蘭さん、どうしますか?」
私は彼女に決断を迫った。
「……よし、ドーナツのことは夜子に任せた。これ、お金ね。おつりは貰っちゃっていいよ」
糖蘭さんはあっさりと、私を解放した。
思ったより簡単に糖蘭さんを丸め込むことに成功してしまった。
若干卑怯な手を使ったことに申し訳なさを抱きつつも、私は家から飛び出した。
*
私はまず最初に、事務所のある港にやって来た。イレギュラー02と戦ったあのときみたいに、ビームが撃てるかどうかを試したかったからだ。
天気は晴れ。風も穏やか。
今日も相変わらず、港には誰もいない。やはりここは、異能の練習に適している。
私は、海の方に手を突き出しながら、精神を集中させる。
やがて、力が手のひらに集まり、エネルギーの玉が生成される。
私はそのエネルギーを解放した。
しかし、それはビームとなることはなく、目の前で爆発した。
失敗。
やはり、あの時ビームを連射できたからといって、いきなりビームを撃てるようにはならなかったようだ。あれは、所詮は火事場の馬鹿力と言ったところだろうか。
何事も地道にやるしかない。
ビーム練習は一旦諦めて、いつも愛神先輩たちと走っている道を走ることにした。
しかし、しばらく走っていると、今日に限ってどこか物足りないような感じがした。
私はその物足りなさの原因に気がついた。
それはおそらく、1人でやっているということだった。
これまでは愛神先輩や糖蘭さんと一緒にやっていたのだから、急に1人になれば、色々変わるのも無理はない。
私がそう納得するころには、彩桃地区の商店街の近くまで来ていた。
そろそろ事務所の方へ引き返そうかと思いながら、細い道を走っていると、突然、曲がり角から怪しげな軽トラが現れた。
それはスピードを落とすと、私に並走してきた。
気味が悪かったので、スピードを上げて振り切ろうかと思っていると、軽トラの窓ガラスが開いた。そこから現れたのは、見覚えのある顔だった。
「ウィィィッス。どうも酒夜です」
トラックの運転手は無表情で、テンションが高いのか低いのかわからない挨拶をした。
「ど、どうも……」
私は戸惑いつつも、挨拶を返した。
「夜ヌンティウスは何してたんだ?なんか、走ってるように見えたけど」
「ちょっと修行してました」
「修行?また何故そんなことを」
私は、どう答えるべきか迷った。そして、なんとかそれっぽく返した。
「えーと、強くなりたいから……ですかね?」
「なるほど……いいじゃん私も一緒にやりたい」
「えっ!?……結構キツイですよ?」
「そんなの関係ねえ」
酒夜さんはそう言った。
私は、予想外の展開に驚いた。それでもまあ、1人でするよりは酒夜さんと2人でする方が、幾分マシだろうと思い、酒夜さんを受け入れた。
一旦軽トラを茗龍の店先に置いてから、私たちは修行を始めた。
酒夜さんは言う。
「夜ヌンティウスはいつも通りに走ってくれて構わない」
「わかりました。それじゃあ行きましょうか」
「れつごー」
私と酒夜さんは走り出す。
爽やかな風を受けながら、アジアンチックな街並みを駆け抜ける。
やはり誰かと走った方が、孤独感が薄れて退屈しない。
しかし少しすると、隣にいたはずの酒夜さんが、いつの間にかいなくなっていた。
「あれっ、酒夜さん?」
私が周りを見渡すと、後ろの方で彼女はダウンしていた。
私は彼女の方に駆け寄った。
「大丈夫ですか?」
「夜ヌンティウス……私のことは心配せずに、先に行け……」
「いや、何言ってるんですか」
「ごめん冗談」
酒夜さんはそう言った。
それでも私は、思っていた以上に彼女が貧弱だったので心配になる。
「ちょっと休憩しましょうか?」
「いや、大丈夫。行こう」
酒夜さんはそう言いながら立ち上がった。
「あんまり無理しないでくださいね?」
「わかってる」
彼女はそう言うと走り出した。
私も、その背中を追って走り出した。
私たちはしばらく走ったものの、割とすぐに酒夜さんの限界が来てしまった。
私としては少し物足りない気もしたが、彼女は非異能者なので無理もない。
私たちは茗龍に戻ってきて、休憩することにした。
店内には、私と酒夜さん以外に誰もいない。ここの装飾や暖かな色の照明は、以前来たときから変わっていないはずだが、少し特別な気分になる。
私が席に座らされて待っていると、厨房から酒夜さんが戻ってきた。
「おまたせ。ウーロン茶しかなかったけど、いいかな」
「どうも、お構いなく」
彼女は、ウーロン茶が入った透明のコップを、テーブルに置いた。
私は、早速それを飲んだ。渇いた喉が潤う。
「それにしても、夜ヌンティウスってめっちゃ足早いな」
その言葉を聞いた私は、しまったと、自分の迂闊な行動に後悔した。もしかしたら、私が異能者だということが酒夜さんにバレたかもしれない。
「ええ、ま、まあ……」
私は歯切れの悪い返答をした。
修行でかいた汗とは別の種類の汗が出てくる。
そんな私の心境はつゆ知らず、彼女は話を展開する。
「もしかして、マラソン選手とか目指してる?」
「えっ、いや、別にそういうのは特に……」
よかった。まだ気づかれてはいないようだ。ひとまず安堵する。
「そうなんだ。じゃあ、何故強くなろうとする?」
「それは……」
私は、どう答えるか思考を巡らせる。
もし、酒夜さんに異能者バレをしてしまったら、どんな反応をされるだろうか。
怒られる?悲しまれる?怖がられる?
いずれにせよ、距離を置かれるに違いない。
こういうとき、異能者である自分のことが疎ましくなる。
黙り込む私を見て、彼女は何かを察したらしい。
「……嫌なこと聞いて悪かった」
「気にしないでください!」
私は申し訳なく思いながらも、誤魔化すようにウーロン茶をぐいっと喉に入れた。
「そういえば」
酒夜さんは、淀んだ空気を入れ替えるように、話を変える。
「どうしたんです?」
「こないだ水族館で会った後、神宮でイレギュラーが現れたらしいな」
「そういえば、そうでしたね」
「夜ヌンティウスは大丈夫だった?」
私は少し考えた。
被害0と言えば嘘になる。かといって、わざわざ心配をかけるようなことを言いたくはなかった。なので、あくまで無関係を装った。
「ええ、なんともありませんでしたよ」
「そっか。よかった。話によると、イレギュラー事件で暴れ散らかしたイレギュラー02と同一個体らしくて、驚いちゃった」
「そ、そうですよね」
「実はうちの店、元々は香格里でやってたんだ」
「そうなんですか?」
「けど、イレギュラー事件のときに、店が全部燃えちゃって」
「それじゃあ、ここは2つ目のお店ってことですか」
「そう」
イレギュラー事件の被害者を目の前にして、私は無力感に襲われた。
インサニティに対抗できる唯一の存在である異能者なのに、私はインサニティ1体を倒すこともできない。
酒夜さんは続けて言う。
「まあ、彩桃に来てからの方が商売繁盛してるから、何とも言えないが……ただ、やはり1番大切なものを失っては意味がない」
「1番大切なもの……」
「夜ヌンティウスも大切にしろよ」
「あ、はい」
突然そう言われて少し戸惑ったが、彼女の言葉には、妙に説得力があった。
*
それから私は、酒夜さんと修行するようになった。
一応、家を出る前に糖蘭さんも誘っているが、残念ながら彼女は、なかなか家から出たがらなかった。
まあ、彼女は元から強いので私ほど修行する必要はないだろう。
そう思いつつも、本当は彼女とも一緒に修行したかったが、そういうわけにはいかなかった。
酒夜さんの方はどうやら、修行にハマったらしい。
私が修行していると彼女はやってきて、飛び込み参加してくる。
私としては、彼女がいるとどうしても本気を出して身体を動かすことができないので、やりづらいところがある。しかし、一緒に修行するたびに、彼女といると楽しいと思えた。
そんなことをしながら、かれこれ1週間以上が過ぎた。
今日も私は港に来ていた。
私には、ビームの習得という明確な目標がある。
それに、愛神先輩が電話で言った通り、イレギュラー02とまだ戦わなければならない以上、今後のためにも私はもっと強くならなければならない。
私は海の方を向いて、精神を集中させた。
しばらくそうしていたが、今日もビームが出る気配は一向になかった。とはいえ、少しづつだがエネルギーが安定してきているので、成長はしているはずだ。焦らずに一歩一歩進めばいい。
今日のビーム練習はここまでにして、筋トレでもしようとした、その時だった。
「ブンブンハロー夜ヌンティウス」
今日も酒夜さんがやって来た。
「おはようございます」
私は挨拶をした。しかし、内心ヒヤヒヤしていた。もしかして、エネルギー弾を見られてしまったのではないかという懸念が頭をよぎる。
彼女は言う。
「昨日は筋トレ、一昨日はシャドーボクシング。今日は何をしてたんだ?」
私は返事に困った。まさか、ビームを出す練習と言うわけにはいかない。
なんとか言い繕う。
「えーと、精神統一です」
「なるほど、肉体だけでなく、精神も鍛え上げるのか。なかなかストイックだな」
「ま、まあ」
「私も一緒にやっていいか」
精神統一と言ったが、私がやっているのはビームを出す練習だ。
それでも私は、友達になれるかもしれない人を拒絶することはできず、2人で精神統一することになった。
彼女は私の横にやってきて、あぐらをかく。
「コツを教えてくれ夜ヌンティウス」
「コツですか?……うーん」
私はしばらく考えてから、それっぽいことを言ってみる。
「身体中のエネルギーの巡りを感じる……そんな感じですかね?」
「なるほど。やってみる」
酒夜さんは目を閉じて黙り込む。
私も、ビームの練習は出来なくなったが、精神統一をする。
急に静かになる。
海の音が聞こえてくる。
海岸にぶつかる波の音。底で渦巻く潮の音。
逆にそれ以外は何も聞こえない。
どんどんと現実世界から引き離されて、まるで世界で私と酒夜さんだけしかいなくなってしまったような錯覚を覚え始める。
そのときだった。
突然、私のガラケーが、けたたましく音を立てた。
「!」
「何だ一体」
私はすぐにガラケーを開き、画面上に映し出される地図を凝視する。
まずい。インサニティが現れた。しかも、ここからかなり近い。
位置的にも現在のHALFメンバーの状態的にも、私が応戦するのが最適解だった。
私は酒夜さんに言う。
「私が戻るまで、ここで待っててください」
「おい、急にどうした――っておい」
私は彼女の言うことも聞かずに、駆け出した。
しかし、彼女は必死に私を追いかけて来た。
「なあ、一体何が起こってる!?」
「インサニティが……近くにいます」
「インサニティ?なぜそれがわかる」
私は立ち止まった。彼女の言葉にどう返せばいいのかわからなかった。
インサニティは予測不能の災害に等しい。
私たちが持っているガラケーの、原理もわからない機能のことを話していいのかもわからない。
しかしその時だった。
横の細い路地から、インサニティが飛び出してきた。
「酒夜さん右!」
私はすぐにそう叫んだが、まるでインサニティのことが目に見えていないかのように、酒夜さんの反応は一歩遅れた。
「うっ!」
彼女はインサニティとぶつかり、地面に転がった。
インサニティは彼女に狙いを定める。
「っ!」
まずいまずいまずい。
私がインサニティを止めなければ酒夜さんが――
しかし、自分可愛さが私の足を引っ張った。
もし、ここで異能を使ったら、酒夜さんはどんな顔をするだろうか?
正直、怖かった。
ふと、彼女と目が合った。
普段から表情が変わらない酒夜さん。
彼女が何を考えているのか、表情からはわからない。
しかし今この瞬間だけは、その唐辛子みたいに真っ赤な瞳は、明らかに恐怖に染まっていた。
糖蘭さんならどうするか?
ふと、頭によぎった自問。
選択肢は1つしかなかった。糖蘭さんなら、絶対に助ける。
――私がやらなきゃ
心拍数が上がり、血の巡りが速くなるのを感じる。
私は、インサニティに向かって走り出した。それと同時に拳に念力を集中させる。
「酒夜さんから離れてください!」
私はインサニティを殴り飛ばした。
「グガアア!!」
インサニティは近くの車にぶつかり、車体を凹ませた。そして、すぐに体勢を立て直し、こちらに反撃してくる。
私は攻撃を受け止めた。
しかしインサニティから繰り出される蹴りに、対応しきれなかった。
真っ黒な足は私の横腹に命中した。
「がはっ」
内臓にダイレクトに痛みが伝わる。それでも、イレギュラー02と戦ったときのことを考えると、まだマシだった。
インサニティは間髪入れずに攻撃してくるが、私はすぐに体勢を立て直し、それらを避ける。
そして、ほんのわずかにできた隙を、私は見逃さなかった。
手のひらに念力を集中させる。
エネルギー弾が生成される。
――今だ!
私はそれをインサニティに押しつけた。
目の前で爆発が起こる。
相手は宙に浮いた。
私は右腕にありったけの念力を込めながら、地面を蹴りインサニティに近づく。
「うおりゃあああ!!」
そして、全力で顔面を叩き落とした。
「ウガアアア!!」
インサニティは猛スピードで落下し、地面にクレーターを作った。そして、黒い煙を出しながら、バラバラに砕け散った。
私は地面に着地した。
これで、なんとか酒夜さんを守ることができた。
ひとまず私は安堵した。
しかしその直後だった。
「おい」
後ろから、酒夜さんの声がした。
私はおそるおそる振り返った。
そこには、顔と膝に怪我を負った酒夜さんがいた。
「酒夜さん!」
私は彼女に駆け寄った。しかし、一歩踏み出したところで止まった。
彼女は先ほどの私を見ていた。
近づけば、怖がられるかもしれない。
「あの……」
私は、どうすればいいかわからなくなって俯いた。
酒夜さんが切り出した。
「……助けてくれてありがとう」
彼女から出た最初の言葉は、私への感謝の意だった。
「……え」
私は困惑した。
「助けてくれてありがとう」
酒夜さんはもう一度繰り返した。
私は何か言わなければと思ったが、うまく言葉がでない。
「夜ヌンティウスが異能者なこと、今まで知らなかった。もっと早く教えてくれればよかったのに」
彼女はそう言った。
私は小さく呟く。
「……そんなの、できるわけないじゃないですか」
「何故?」
「だって……」
私は、顔を上げて、酒夜さんの顔を見た。彼女は何を考えているのだろうか。
「酒夜さんに嫌われたくないですから」
「……」
少しの沈黙の後、彼女は口を開いた。
「夜ヌンティウスのこと、嫌いになるわけない。お前が、異能者が、いい奴だってこと知ってるから」
酒夜さんは私に近づく。
「だいたい、世の中は異能者を毛嫌いしすぎだ。たしかに異能者は得体の知れない力を持ってるし、異能者がイレギュラーになることも知ってる。けど私はただ、この目で見たことのある異能者たちを、信じているだけだ」
「酒夜さん……」
彼女のように、正面から私を受け入れてくれる非異能者は初めてで、私にとって、その言葉は大きかった。
「ところで夜ヌンティウス。足がめっちゃ痛いから、うちまで運べ。異能者ならできるだろ」
「……人使いが荒いですね」
私はそう言いつつ、酒夜さんを抱えた。
私より大きい彼女の身体は、すんなりと持ち上がった。
*
私が風呂から上がると、リビングでは糖蘭さんがアイスをかじりながら誰かと電話していた。
相変わらず全裸だが、段々とその様子に慣れてきている自分が少し怖い。
私に気がついた糖蘭さんは、電話を切る。
「今日の夜子、ナイスだったね」
そして突然、そう言った。
私は思わず聞き返す。
「何のことです?」
「今日のインサニティ退治のことだよ」
「なんで知ってるんですか」
「実はあのとき、こっそり見てたんだよね」
「全然気づきませんでしたけど……それなら出てきてくれてもよかったんですよ?」
「あはは、ごめん。けど、1人でインサニティを倒せるようになったの、本当に成長したね」
そういえばそうだった。酒夜さんのことがあって、私1人でインサニティを倒したことをすっかり忘れていた。
「けど、私はまだまだですから、もっと強くならなきゃです」
「愛神みたいなこと言うなぁ」
糖蘭さんは笑った。そして、続けて言った。
「そうそう、さっき柚先先輩から連絡きたんだけど、明日、事務所でみんなで集まろうってさ」
「……そうですか」
彼女の言葉を聞いた瞬間、私は急に、柚先社長と会うのが怖くなった。